秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ファッションのこと3

バーニーズ・ニュヨークがアジアに最初の店舗を出したのは新宿。

ファッショの伊勢丹が提携して実現した。


30歳過ぎて、ある会社の役員をやるようになり始めた頃 接待や打ち合わせやらがでやたら飲酒の機会が

ふえ、自宅が遠いものだから 最終電車で駅にたどりつくと やたら腹がへる。

若い頃から、メシを食べながら酒を飲むことができない体質のうえ、おえらい、自分より年上のおっさん

たちの相手をするのだから、若輩者は気をつかい 場を盛り上げつつ、料理のことやサービスのことで、

あれこれ店の従業員にも気をつかう。目の前の料理をゆっくり食べることなどできやしない。

駅について、深夜にそこいらのカジュアルフードを買い食いするのだから、太るに決まっている。


IVYファッションは、若者向けのファッションだから、当然、太った中年には似合わないし、体重が増え

てしまったぼくは、それまでのワードローブが着れなくなってしまった。

そんな折、伊勢丹本店のバーバリーでそのときの体型に合うスーツを買い、ふらりと立ち寄ったのが、

まだ、出きてまもない頃のバーニーズだった。

当初は高くて、手が出せなかったが、独立して事務所が多少軌道に乗り出し、少しの贅沢ができるように

あると、ぼくはバーニーズで気になっていたカシミアのジャケットとパンツを買った。


ぼくが初めて買った、Ermenegildo Zegna(エルメネジルド・ゼニア)。高い。


以来、着心地がよく、生地の感触のいいイタリアファッションにはまっていった。

一時はアルマーニのスーツやパンツ、シャツばかりをそろえていたこともある。恰幅のよくなった中年

に、確かに、イタリア系ファッションはよく合う。

それまでコテコテIVYのトラッド枠から出られなかった男は やっと大人のファッションに目覚めたの

だ。

不思議なもので、そうなってくると自分の付き合いや人との交流まで変わってくる。

ある意味、バブリーな感覚になり、実態はそうでないのに、大人びた生活スタイルがいいのだと思い始め

る。また、周囲の視線も、どこか気遣いが感じられるようになる。ショップの店員たちからは一目置かれ

るようにもなるのだ。

最初は、おもがゆいのだが、だんだんそれになれてくると、その心地よさが当然と思うようになってく

る。そして、自分の内実や実際の大きさを勘違いし出し、冷静に自分のいまを振り返ることができなく

なる。

ご他聞にもれず、ぼくもそうだった。車はボルボ。買い物は伊勢丹。週末はゴルフか乗馬。

安手のヤッケや擦り切れたコッパンをはいて、芝居をやっていた頃の自分がやろうとしていたことを

忘れかけていた。いや、忘れようとしていただと思う。

その頃、出会った女性に恋をした。もともとファッションスクールに通っていたからセンスがよかったの

だが、バーニーズに連れていくと火がついてしまった。

しかし、そのおかげで、ぼくはレディスの高級ブランドの店舗で、更衣室で着替える女性をひとりソファ

に座り、待つことを、かつてのようにみとっもない、恥かしいとは思わなくなっていった。

いま考えれば、おかしな生活だし、おかしな感覚だと思うが、ひどい過ちをしたことで、ぼくはなかなか

経験できない、大きな勉強をさせてもらったと思っている。

もともと、そういう生活を目指していたわけでもなく、何かから、つまり、自分のやりたい芝居や表現か

ら逃亡しようとしていたのだから、そうした生活の中で、ふと我に返る。

おかしくねぇ。その声がだんたん大きくなる頃、ぼくはある男と出会い、自分がやるべきことに気づかさ

れた。

それが、社会学者の宮台真司だった…。



つづく。