秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

新しい男

人には、それぞれの年齢に応じた自分の街というものがある。

福岡では、大濠公園舞鶴城、平和台球場、天神であり、志賀島の海や大宰府だった。上京すると、大学の近くがそれであり、そのころ住んでいた阿佐ヶ谷や近場の高円寺、中野の中央線沿線がそうだった。そして、卒業すると劇団の稽古場のあった新宿界隈がそうなった。区役所通りの路地やゴールデン街、思い出横丁…。

東宝に通うようになると数寄屋橋のガード下がそうなり、映像制作会社に勤めて、そこそこ生活ができるようになると、広尾や恵比寿、外苑前、青山、成城といった場所になじみをつくっていた。新宿へも通ったが、劇団のころは貧しくていけなかったバーやクラブがほとんどになった。

オフィスを乃木坂に持つようになって20年。近場の乃木坂界隈や西麻布、麻布十番、銀座といった場所が居場所になった。

上京したときから、表参道に行き付けの珈琲店があった。劇団をやっていたころは、ロアビル近くに知り合いのおやじがやっているジャズの店があった。だから、自分の街からどこか別の場所で自分が落ち着く街は、港区のスポットが多かったのだ。

あれほど、新宿で飲み、行きつけの店も多く、また、買い物といえば、バーニーズや新宿伊勢丹新宿高島屋紀伊国屋書店にいっていた男がすっかり縁遠くなっている。

今日は次の高校の東京同総会が新宿西口のイベントスペースでやることになり、そこで打ち合わせのあと、久しぶりに思い出横丁、通称、しょんべん横丁といわれている戦後の闇市跡の飲み屋街で飲んだ。

ひとりではもう決して来ることのないかつての自分の街だ。

そのとき、その時代、頻繁に通った店や飲食街、歓楽街といものが男にはある。そして、いつか別の街と出会い、不義理をする。だが、本当は不義理ではない。あのときのあの記憶とともに、止めたい、止めてしまった時間がきっとあるからなのだ。

戻っても、あのときの時間は動き出しはしない。あのときの人もよみがえらない。それをわかった男が、不義理といわれながら、男になっていく。

男は、いつも新しい男になりたいのだw