秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

青山物語

昨夜、NHKBSプレミアムで、青山通り物語といってもいい、石津謙介のドキュメンタリーをやっていた。シリーズ東京第二回「街はこうして輝いた 青山・石津謙介

50代以上の男子ならご存知の方が多い。VANの創業者で、日本にアメリカ東部の学生ファッション、IVYルックを初めて持ち込んだ人だ。
VANやKENTというブランドが登場するまで、この国には、若い世代の男子が憧れるような国内ファッションはなかった。

本来、アメリカ東部の学生ファッションは、エリートであることを表象するファッションで、アメリカの知識階級や富裕層に代々受け継がれてきたものだ。俗に、トラッドファッションといわれるように、英国文化からの流れがある。

ハーバード、エール、プリンストン、コロンビア、ブラウン、ダートマス、コーネル、ペンシルベニアのエリート校8校。IVYといわれるのは、校舎や学生寮のレンガの塀にからまる蔦のこと。

それをわかってか、わからずか。それに見合うが見合わないか。内実はともかく、日本の若者たちが争うように、着ていた時代がある。
 
1950年代、60年代のアメリカ映画を観ると、そこにIVYファッションの登場人物がたくさんいるのに気づく。名作「ティファニーで朝食を」のヘップバーンの相手役、ジョージ・ペパードの衣裳はまさに、それ。ジバンシ-と並んでも引けをとらない。

私が上京したときには、ギリギリ、まだ青山にVANがあった。

いま、ブルックスブラザーズになっているビル。ブルックスはニューヨークに本店のある本家本元。アイビーファッションの店。その地下に、VAN99ホールという99人しか入れない多目的スペースがあった。
 
私は、そこで、つかこうへいの「熱海殺人事件」の舞台を初めて観たのだ。観客もまだまばらな頃だった。文化にも貢献している。
 
以前、何度も紹介した、大坊珈琲店もそのすぐ近く。現在もある石津事務所は、閉店になった大坊珈琲店の裏手にいまもある。

経営の失敗で倒産し、労働争議もあった。だから、単にファッションの神様だけではすまないところもある人だ。
 
だが、高度成長期の恩恵の中で、それまでの世代とは違い、ファッションという生活そのものとは違うところに関心と金銭をかけられるようになった新しい世代のシンボルだったのは確かだろう。

私が好きな青山はVANを含め、新しい文化を発信しようとしていた当時の青山。若く、何か新しいものを生み出すために、少し背伸びをし、その生き方をファッションや生活文化でも示す。そのこだわりとパイオニア精神が好きだった。

いま、青山は銀座とは違うが、同じように大人の街に変わった。いわば成長した。
 
私はそこで、まるで時間と成長に逆らうように、ギリギリ、まだ成長したくて、生きている…