映画のこと4
いま、「傷だらけの天使」のその後を描いた、矢作俊彦の「傷だらけの天使 魔都にハンマーを」が話題
になっている。放映当時から熱狂的なファンがいたが、DVDを観た若い世代が、いまでも当時のロケ地を
訪ねるらしい。
しかし、放映された、74年から75年の同じ時間帯には、TBSが必殺シリーズを放映していて、視聴率では
苦戦が続き、テレビドラマ関連の賞とも無縁なまま終わっているのだ。だから、大人はほとんど見ていな
かったし、女、子どもも見てはいなかった。見ていなたのは、ぼくらのようなそれまでのテレビ時代劇を
バカにしていた、10代から20代前半の男子で、しかも、おそらく、アメリカンニューシネマで新しい映画
スタイルに目覚めていた若い連中だった。
脚本は、当時、若手でバリバリだった市川森一がメインになり、演出は、テレビ人ではなく、恩地日出
夫、深作欣二、神代辰巳、工藤栄一といった映画監督だった。「傷だらけ」は、だから、テレビドラマと
いうより映画だった。撮影もフィルム撮影。撮影は、あの鬼の木村大作。監督と撮影マンを見ただけで
どうしようもない、コテコテの映画だったと、いまは、わかる。
そこに、当時、日本で最高のバンドといわれていた、井上堯之バンドの音楽がのり、衣裳は出たばかりの
BIGIの創立者、菊池武夫が担当した。若者文化を牽引するトップが音楽と衣裳をやれたこともすごいと思
う。
まして、ありえない設定のナンセンスストーリーな上、裏街道の世界を舞台しているから、ヤクや売春、
殺人やレイプといった暴力シーンは必ず登場する。放送開始すぐに、「有害番組」のレッテルを貼られた
のだから、視聴率が上がるわけがない。
主人公を演じた、萩原健一は、グループサウンズが下火になり、これといった活動ができない中、この作
品で俳優としての一歩を記した。子役時代から名優と騒がれていた水谷豊は、この作品で新境地を開い
た。彼の「兄きぃ~!」は、ぼくらの流行語大賞だった。
しかし、この作品を見たとき、すぐに直感したのは、やはり、「真夜中のカーボーイ」だった。
映画人もテレビマンも、そして、ミュージシャンも、ファッションデザイナーも、あの当時、アメリカン
ニューシネマにやられていたのだ。
前にも述べたように、生の本能(エロス)と死の本能(タナトス)がわかちがたく結びつき、人間は、何
をしでかすかわからない存在だし、ふとしたきっかけで、安全地帯から危険地帯へ簡単に踏み出してしま
う。人が生きるというのは、実は、不安定なグレーゾーンにいるだけのことで、いつどうなってもおかし
くない不条理性の上に辛くも立ち尽している、たよりない存在に過ぎないのだ。自分という人間が自分が
思うような人間ではなく、また、他人が思うような人間でもない。自己証明の手段も手続きも持たず、拠
り所の無い存在だからこそ、偶然の運命に支配されるし、自分も思わない世界へ足を踏み入れることもあ
る。
ぼくたちは、脳が思うほど、毅然とはしていないし、他者と通信し合ってもない。同時に、自分が思うほ
ど、不安な存在でもないし、他者と通信し合っていないわけでもない。
アメリカンニューシネマには、そうした哲学があった。そして、実際に思想・哲学の分野ではポスト・モ
ダンが主流となり、構造主義を否定していた。フーコ、ドゥルーズ、デリタが思想中心にあり、実存の証
明を求めること自体に、歪みがあることを指摘した。
それは、ATG(アートシアターギルド)作品にも色濃く影響を与え、ぼくが信じていた演劇のあり方を180
度覆すことになった…。
になっている。放映当時から熱狂的なファンがいたが、DVDを観た若い世代が、いまでも当時のロケ地を
訪ねるらしい。
しかし、放映された、74年から75年の同じ時間帯には、TBSが必殺シリーズを放映していて、視聴率では
苦戦が続き、テレビドラマ関連の賞とも無縁なまま終わっているのだ。だから、大人はほとんど見ていな
かったし、女、子どもも見てはいなかった。見ていなたのは、ぼくらのようなそれまでのテレビ時代劇を
バカにしていた、10代から20代前半の男子で、しかも、おそらく、アメリカンニューシネマで新しい映画
スタイルに目覚めていた若い連中だった。
脚本は、当時、若手でバリバリだった市川森一がメインになり、演出は、テレビ人ではなく、恩地日出
夫、深作欣二、神代辰巳、工藤栄一といった映画監督だった。「傷だらけ」は、だから、テレビドラマと
いうより映画だった。撮影もフィルム撮影。撮影は、あの鬼の木村大作。監督と撮影マンを見ただけで
どうしようもない、コテコテの映画だったと、いまは、わかる。
そこに、当時、日本で最高のバンドといわれていた、井上堯之バンドの音楽がのり、衣裳は出たばかりの
BIGIの創立者、菊池武夫が担当した。若者文化を牽引するトップが音楽と衣裳をやれたこともすごいと思
う。
まして、ありえない設定のナンセンスストーリーな上、裏街道の世界を舞台しているから、ヤクや売春、
殺人やレイプといった暴力シーンは必ず登場する。放送開始すぐに、「有害番組」のレッテルを貼られた
のだから、視聴率が上がるわけがない。
主人公を演じた、萩原健一は、グループサウンズが下火になり、これといった活動ができない中、この作
品で俳優としての一歩を記した。子役時代から名優と騒がれていた水谷豊は、この作品で新境地を開い
た。彼の「兄きぃ~!」は、ぼくらの流行語大賞だった。
しかし、この作品を見たとき、すぐに直感したのは、やはり、「真夜中のカーボーイ」だった。
映画人もテレビマンも、そして、ミュージシャンも、ファッションデザイナーも、あの当時、アメリカン
ニューシネマにやられていたのだ。
前にも述べたように、生の本能(エロス)と死の本能(タナトス)がわかちがたく結びつき、人間は、何
をしでかすかわからない存在だし、ふとしたきっかけで、安全地帯から危険地帯へ簡単に踏み出してしま
う。人が生きるというのは、実は、不安定なグレーゾーンにいるだけのことで、いつどうなってもおかし
くない不条理性の上に辛くも立ち尽している、たよりない存在に過ぎないのだ。自分という人間が自分が
思うような人間ではなく、また、他人が思うような人間でもない。自己証明の手段も手続きも持たず、拠
り所の無い存在だからこそ、偶然の運命に支配されるし、自分も思わない世界へ足を踏み入れることもあ
る。
ぼくたちは、脳が思うほど、毅然とはしていないし、他者と通信し合ってもない。同時に、自分が思うほ
ど、不安な存在でもないし、他者と通信し合っていないわけでもない。
アメリカンニューシネマには、そうした哲学があった。そして、実際に思想・哲学の分野ではポスト・モ
ダンが主流となり、構造主義を否定していた。フーコ、ドゥルーズ、デリタが思想中心にあり、実存の証
明を求めること自体に、歪みがあることを指摘した。
それは、ATG(アートシアターギルド)作品にも色濃く影響を与え、ぼくが信じていた演劇のあり方を180
度覆すことになった…。