秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

アメリカンニューシネマ

今週末の金曜日に映画上映会をやることになった。

映画好き、映画音楽好きのRedのYouの発案で、前々からアメリカンニューシネマをコワ常連で観ようという話はあったが、格段、それを推し進める空気もなかった。が、歓送迎会や季節パーティなどのないこの時期、イベントスペースを有効活用したいというYouの思いもあって、バタバタと先週当たりから、やろう、やろうということになった。

アメリカンニューシネマは、1967年にタイム誌が、ウォーレン・ビューティ製作の『俺たちに明日はない』(原題ボニーとクライド)を大特集したときに、暴力、セックスを題材にしながら、そこにアート性があるというふれこみで、「ニューシネマ到来」としたのが始まりだ。それ以前から大手制作会社の大作主義に反した、新しい映画制作の流れはあったが、明確にアメリカンニューシネマという言葉が登場したのは、このとき。

オレたち世代前後、団塊世代から40代くらいまでは、この新しい反体制映画ともいえるアメリカンニューシネマが文化的、思想的に大きな影響を与えている。とりわけ、60年代初頭から始まった、黒人解放運動、いわゆる公民権運動とベトナム反戦運動とが連携し、アメリカは若者世代を中心にした政治の時代を迎えていた。新しいライフスタイルが生まれ、若者の意志を政治に反映させようという運動と呼応するように、アメリカンニューシネマは登場したのだ。その象徴は、1968年4月にコロンビア大学で起きた学生運動を描いた『いちご白書』。

若者の政治参加の運動は、アメリカに限らず、1966年フランスのストラブール大学で学生の大学運営参加、自治権の確立を要求して学生運動が始まったのを皮切りに、各大学に飛び火し、68年ベトナム反戦運動ソルボンヌ大学自治権要求運動とが連帯すると、労働者も学生たちの民主化運動に賛同。折りしも、ソビエトの軍事介入によって民主化運動を弾圧した、プラハの春事件で、反権力闘争が一気に激化した。1千万人の学生、労働者が一斉にゼネストに入った、5月革命と呼ばれるものだ。

これは、日本の全共闘闘争にも影響を与え、69年1月には、東大安田講堂占拠事件が起きている。

学生を中心とした若い世代の、巨大権力や旧世代がつくった制度、体制に立ち向かう自由な意志、それが、映画芸術に引き継がれ、これまでの大作映画では描かかなった、犯罪者、アウトサイダーが新しいヒーローとして登場してきたのだ。どの作品も、暴力やセックスを大胆に描き、それまでロマンス巨編や人間愛を正面からてらいもなく描いていた大スター主義の作品とは真っ向から対立した。現実社会の矛盾を抉るというスタンスで、リアリズムを徹底して追求するようになったのだ。

オレがよく講演などで語るように、人は自分が生きるために、人を殺す存在であり、人を傷つけ、差別する存在であるという、人間の本質や、人間の意志や意図に反して、偶発的で予想もしない、理不尽な出来事に遭遇することによって、ある日突然、人生が変り、場合によっては、簡単にいのちを失ってしまう、人間社会の持つ不条理性を執拗に描いている。

不条理性こそが、人間の実存であるという確信に立って人間を描こうとしたところに、アメリカンニューシネマの斬新さ、鋭さ、リアリティがあったのだ。

70年代に入って、政治の季節が終り、大資本の支援のないニューシネマは、凋落するが、3Dを駆使した、ハリウッド大作映画が次第に飽きられるようになってくると、人間の本質、現実の理不尽さ、異様さを丹念に描く映画、第二次ニューシネマの時代がくる。『マグノイア』『アメリカンビューティ』などはそのさきがけだ。そして、数年前の『クラッシュ』『バベル』へとつながる。

こうしたアメリカ映画に比べ、日本の映画界はATGなき後、人間洞察にすぐれた映画がほとんどなくなっている。そこには商業システムの問題や映画興行システムの問題など、日本映画界の構造的な欠陥とシステムの壁がある。

この時期に、改めて、ニューシネマの世界を学び直すというのは、その意味で、オレにとっても、視聴する人間たちにとっても、いいことなのかもしれない。

映画芸術とはどういうものか、限られたスぺースの限られたコアな人間だけの集まりだが、その中で、じっくり作品を通して考えてみるのもおもしろい。