覚書
「神宮のイチョウも、昨日の雨にすっかりやられて…。」
今朝は、そう言って、色づいたイチョウの実を両手にいっぱい拾って来てくれましたね。
夏は、浅草のホオズキでした。花冷えのする3月は、湯島の梅の押し花でしたね。
「仕事でそばまで行ったから…。」それが、いつもの口癖でした。私には、ひどく哀しい、言い訳みないな口癖でした。
そして、今朝もやっぱり、そうでした。わかっているんです。
もう時期、底冷えのする季節がやって来て、そしたら、あなたは、今度は御酉さまの大きな熊手を抱えて、あの扉を開けるんです。
国電と私鉄と、それにバスを乗り継いで、この私の居る、清瀬の療養所まで、片道2時間近くの道のりを
だった一人でやって来るんです。
私がそれまで元気でいたら、次は浅草の羽子板ですね。藤娘の絵人形の大きな、大きな羽子板ですね。
そうなんです。私にはわかっているんです。
そして、きっとあなたは、また今朝のあなたのように、不精ひげと襟首の汚れたYシャツ姿で、いつものように言うんです。
「仕事で近くへ行ったから、そのついでにね…。」
笑いながら、言い訳するように言うんです。とても哀しそうに言うんです…。
あれは、5月のとても天気のいい日曜日でしたね。
歌舞伎町へ友だちと映画を観た帰り、噴水の側のパチンコ屋の前で、初めてあなたに会いました。
あなたは、水玉の服にヒダヒダのついた衣裳に厚化粧して、人だかりの真ん中に立っていましね。
客寄せのマリオネットでした。
一時間、450円のマリオネットでした。額から流れる汗が頬をつたって、まるで泣いているような、哀しい、哀しいマリオネットでした…。
それから二人でコーラを飲んで、いろんな話をして…。ふるさとの話になると、あなたは驚くほど向きになって…。
日比谷にも、御苑にも、後楽園にも初めて行って。鳩に餌を投げて、枯れた芝の上で相撲をとって…。
海にも、山にも出かけられなくて、休みの日には、江古田の駅前でパチンコをして。あなたは、いつも負けて、私は、いつも勝って。
その度に、アパートで喧嘩になって、そのときは、いつもあなたが勝って、私が泣いて…。
そうなんです。いまの私には、それがとても大切なのに、とても大事なことなのに…。
あなたがひとりっきりで、浅草の人ごみの中、買って来てくれる、どんな大きな羽子板より、
わざわざ神宮前で降りて、雨に打たれて拾って来てくれる、どんなにたくさんのイショウより、
ずっと、ずっと、それが大切なのに…。
でも、そうなんです。
私にはもうわかっているんです。あなたが、いま、そうやって、精いっぱい、人並みの幸せにしがみつこうとしているわけも、そうしなければ、いられない気持ちも、私にはわかっているんです。
あなたは、いつも哀しいマリオネットだったんですね。
私といて、どんなに楽しかったときでも、どんなに幸せだったときでも、
あなたは、いつも哀しいマリオネットだったんです。
そうなんです。私には、わかっているんです。
私が愛したのは、幸せの居場所を探す、歌舞伎町の客寄せの、哀しい顔をした、
ピエロのマリオネットだったんです…。
(秀嶋賢人・作 戯曲「覚書」より)
今朝は、そう言って、色づいたイチョウの実を両手にいっぱい拾って来てくれましたね。
夏は、浅草のホオズキでした。花冷えのする3月は、湯島の梅の押し花でしたね。
「仕事でそばまで行ったから…。」それが、いつもの口癖でした。私には、ひどく哀しい、言い訳みないな口癖でした。
そして、今朝もやっぱり、そうでした。わかっているんです。
もう時期、底冷えのする季節がやって来て、そしたら、あなたは、今度は御酉さまの大きな熊手を抱えて、あの扉を開けるんです。
国電と私鉄と、それにバスを乗り継いで、この私の居る、清瀬の療養所まで、片道2時間近くの道のりを
だった一人でやって来るんです。
私がそれまで元気でいたら、次は浅草の羽子板ですね。藤娘の絵人形の大きな、大きな羽子板ですね。
そうなんです。私にはわかっているんです。
そして、きっとあなたは、また今朝のあなたのように、不精ひげと襟首の汚れたYシャツ姿で、いつものように言うんです。
「仕事で近くへ行ったから、そのついでにね…。」
笑いながら、言い訳するように言うんです。とても哀しそうに言うんです…。
あれは、5月のとても天気のいい日曜日でしたね。
歌舞伎町へ友だちと映画を観た帰り、噴水の側のパチンコ屋の前で、初めてあなたに会いました。
あなたは、水玉の服にヒダヒダのついた衣裳に厚化粧して、人だかりの真ん中に立っていましね。
客寄せのマリオネットでした。
一時間、450円のマリオネットでした。額から流れる汗が頬をつたって、まるで泣いているような、哀しい、哀しいマリオネットでした…。
それから二人でコーラを飲んで、いろんな話をして…。ふるさとの話になると、あなたは驚くほど向きになって…。
日比谷にも、御苑にも、後楽園にも初めて行って。鳩に餌を投げて、枯れた芝の上で相撲をとって…。
海にも、山にも出かけられなくて、休みの日には、江古田の駅前でパチンコをして。あなたは、いつも負けて、私は、いつも勝って。
その度に、アパートで喧嘩になって、そのときは、いつもあなたが勝って、私が泣いて…。
そうなんです。いまの私には、それがとても大切なのに、とても大事なことなのに…。
あなたがひとりっきりで、浅草の人ごみの中、買って来てくれる、どんな大きな羽子板より、
わざわざ神宮前で降りて、雨に打たれて拾って来てくれる、どんなにたくさんのイショウより、
ずっと、ずっと、それが大切なのに…。
でも、そうなんです。
私にはもうわかっているんです。あなたが、いま、そうやって、精いっぱい、人並みの幸せにしがみつこうとしているわけも、そうしなければ、いられない気持ちも、私にはわかっているんです。
あなたは、いつも哀しいマリオネットだったんですね。
私といて、どんなに楽しかったときでも、どんなに幸せだったときでも、
あなたは、いつも哀しいマリオネットだったんです。
そうなんです。私には、わかっているんです。
私が愛したのは、幸せの居場所を探す、歌舞伎町の客寄せの、哀しい顔をした、
ピエロのマリオネットだったんです…。
(秀嶋賢人・作 戯曲「覚書」より)