秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

個人の幸福と他者の幸福

昼過ぎ、アニメ会社のKさんが来訪。総務省のコンペについての相談にきてもらった。
 
近くのカフェであれこれ話をし、その足でイチョウ並木へ。端切れの店と有田焼の店が出ていれば、欲しいものがある。昨年購入して、なくした端切れのハンカチ、柄がとれてしまったコーヒーカップ。それを補充したかった。
 
普段のイチョウ並木からは想像もできない人出。だが、前日夜の雨で、足元に落ちた落ち葉が痛々しい。年一度は店を出していた、端切れの店が今回は出店していない
 
有田焼きの店は出ていたが、お目当ての焼き物はなかった。残念。結局、北海道の物産店で、明太子を購入して帰る。
 
テレビをつけると、韓国の延坪島への北朝鮮の砲撃事件で、騒然となっている。
 
おだやかな外苑イチョウ並木の風景とは、まったく異なるその風景…。そういえば、高校2年のとき、北朝鮮が韓国にミサイルを撃ち込んだという噂が流れ、第二次朝鮮戦争が始まるというデマが飛んだ。
 
どこから出た噂なのかわからない。しかし、朝鮮半島に近接する福岡に住む若者にとって、それは真実味を帯びた噂だった。朝鮮戦争当時、北九州の小倉と福岡の板付(現福岡空港)は、米軍の後方基地として重要な拠点だったからだ。
 
オレたちが高校生の頃は、板付だけでなく、春日原、白木原にも米軍の基地があり、戦闘機の爆音は決して遠いものではなかったし、戦争を身近に感じる風景が至るところにあった。
 
ベトナム戦争最中、多感な高校生たちの中にあった、いつ隣の国で戦争が起こってもおかしくはないという危機感。それが、なにかの拍子にそんな噂になったのかもしれない。
 
だが、その噂を耳にしたとき、背中に走った戦慄はいまも忘れない。オレだけでなく、その噂を聞いたもの、聞かされたもの、みんなが、怖れと同時に、自分たちの命も危機にあるのだと感じ、言葉を失った。だれの顔にも、深い不安の色が漂ったのを覚えている。
 
アフガニスタンイラクの状況は、遠いことだと多くの人は思う。9.11同時多発テロのとき、アメリカ人の多くが、いままで中東の辺境の土地のことを考えたことはなかった。それが現実になったのは、目の前で大規模テロが起きたときだ。
 
しかし、実は、平和のすぐそこに、いつも戦争は静かに、その出番を待っている。力や権威、富にすがり、自分の幸せしか見えない人々には、その静かに立つ戦争の姿が見えない。
 
個人の幸福など、たったひとつの戦争で簡単に失われてしまう。人が求めるべきは、個人の幸福ではなく、個人の幸福を支える他者の幸福なのだ。他者の幸福が守られたとき、初めて、個人の幸福も守られる。