秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

静かな静かな明日への遺言

こんなぼくでも、いや、こんなぼくだからこそ、誠実って何だろうって考える。物事や人に対して、真摯であるということは、どういうことなんだろう…。

信じない人も多いと思うけれど、こんなぼくだからこそ、そんなことがいつも頭を、心をよぎるんだよw

ぼくらの暮らしは、ネットの登場で、とても便利になった。21世紀に入ってからの交通機関の驚異的な発達は、地球を小さくした。ぼくらは、いつでも世界のどこにでも行け、いつでも世界の出来事を知り、ほかの地域や国の人たちのことを知ることができるようになった。

ネットの登場で、時間をかけて書物を読み、反証や実証を比較検討する高い学習能力も必要としなくなった。現地や現場の生活者の声、他国、考えを異にする異国の人々の声を聴くことも、見ることもせず、リテラシーを育てるものがなくなり、安直に、手軽に、サマリーを情報としてえることを知識と呼ぶようになった。

そして、ぼくらは、えられたものが知識ではなく、情報に過ぎなく、実は、知ったのではなく、知った気になっているだけだと気づかないようになったんだ。

わかりもしないのに、わかったような気になり、わかっているという傲慢さがますます、現実や人々の置かれている実状を見えなくし、現れた現象に成否や善悪をつけるだけで、本当の意味で問題を深く掘り下げ、どうすればすべての人々、すべてにとって、よき道を見つけられるのかという問いも持てなくなっている。

それは、知性や理性から遠い。尊敬や敬意からも縁遠い、人として、人間としての矜持とは全く逆のものだ。

今日、陛下が、静謐に、ぼくら国民に語られた言葉…。

皇室典範の改正の必要を個人的な思いとして語れたが、じつは、現象や浅薄な知識に足をとられず、よりよくあるために、ぼくらが考えるべきことを伝えてくださっているように、ぼくには思えた。

陛下が自ら実践されている。現実を、現場を、人々の実状や実態をその目と耳、体でしっかりと理解し、人や物事への批判ではなく、あるべき道を探すための謙虚で、深い議論、人が人とつながるために互いが思いを寄せることの大切さを改めて、ぼくら国民に教えてくださったのでないだろうか…。

そして、それは、公務の整理や縮小という形での擁護を求めてのことではなく、陛下が実践されてきた、過去の反省と平和への誓いをたゆまず、やすまず、誠実に真摯に継続することこそ、自らの使命、象徴天皇の使命と語られていたような気がする。

どんなに政治や人心がうつろい、あるべき道をあやまろうとも、象徴である天皇家は、象徴として、あるべき道を政治の言葉ではなく、姿として示す。そのための、国民と次を担う皇族への明日への遺言だったような気がするんだよ。

基軸を見失いそうなぼくら国民への、誠実で、真摯な、静かな、静かなね…。