秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

もたれあいの国

高度成長期から消費社会へ移行し、バブル崩壊の過程で常に言われた言葉がある。

護送船団方式からの脱却」という言葉だ。記憶している50代以上は少なくないだろう。

要は、業界毎の談合容認や国の施策としての業界保護から、自由競争へ。排他的だった業界の解放によって新規参入による競争意欲を高める。といったものだ。

背景には、グローバル経済において、国内レベルの競争力と業界もたれあいで満足していた日本式経営では、今後、海外の多国籍企業に太刀打ちできないという認識があった。

すでに破綻し、寡占主義による世界的格差の元凶に置き換わったグローバル経済の是非は置くとして、この排他的な政財界の業界癒着を破壊することは自由経済の本来の姿であるべきだったし、ベンチャービジネスの促進という点においても決して否定するものでもなかった。

が、しかし。

これに見合う国政の変革は棚上げされたまま。市場の自由化と企業の改革は、競争至上主義に変わっただけで、業界・企業構造とそれらを生む制度設計やシステムは何ら変更されないまま今日に至っている。

そもそも「護送船団」の解体のために必要なのは、監督官庁や政策決定機関である国会と行政府の財界や既得権集団との決別と自立が必要だったはずだ。自律的で解放された市場の形成と国政改革のためには、それに見合う、もたれあいから自由になれる補償が必要だったはずだ。

つまり、国政、広域行政、地域行政においても、企業間、企業内においても、これを解放するための行動の自由、発言・意志表明の自由、表現の自由、選択の自由、探求する自由。そして、構造改革とこれらを実現するためのコストの容認だ。

ところが、小泉政権以後、アメリカ隷従の形で進められた自由競争の市場主義は、サッチャーのごとく、自立自助だけをいい、そのために必要なコストと自らの改革は先送りしてきた。

結果、いまこの国には、依然として、葬ったはずの「護送船団」が悠々と監督官庁、国政、財界の癒着構造を肥え太らせ、自助は国民、公助は自分たちという、まか不思議な国の姿をつくり出している。

このもたれあいを象徴するのが、いまは日常化してしまった、批判的な意見、改革へ向けた発言をねじ伏せ、まともな政策議論をしないというご飯論法やかみ合わない政策議論に現れている。

常識で考えれば、普段の会話では通じない回答が、ここでは異様とは感じられない。

なぜか。それは、監督官庁、国政、広域行政、地域行政、財界、その取り巻きが、もたれあいというぬるま湯にもう30年近くどっぷり浸かったままで、自分たち護送船団の常識が現実社会にも、あるいは国際社会にも通じるものと驚天動地な勘違いをしているからだ。

それはまさに、高度成長期時代の成功体験そのまま、終わってしまった制度設計の上に座りながら、それが砂上の楼閣と気づいていない果てしない無知さの表れでしかない。

だが、悲しいことに、これを支えているのは、選挙にも、政治にも、世のあり方にも諦めと言い訳しかもたない、主権者意識のない、もたれあい国民の成せる技だ。自ら市民政治を拓くことのできない、もたれあい国民による、もたれあい国民のための政治。

グローバル主義を打破できるのは、自分たちの文化や歴史にこだわるパトリオティズムだが、残念ながら、それは新自由主義を打破する武器ではなく、仲間内でぬるま湯につかった日常の満足を満たすただけのものでしかない。

壊すことも変えることもできない、もたれあいしか知らない、あなたたちがつくる、私たちだけの素晴らしき国、世界。