秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

不思議体験 其の一

もう数年前のことです。

福島県の三春にある、芥川賞作家玄侑宗久氏の福聚寺を仕事で尋ねたときのことです。

私は識者であれ、タレントや俳優さんであれ、その方とお会いする前に事前の下調べをほとんどしませ

ん。著書や作品を数点走り読みした浅薄な知識、つまり、生半可な情報で先入見を持たないためです。別

に有名人ではなくとも、同じことで、初めて会う人には白紙の状態で向き合いたいと思っているのです。

そのときも、そうでした。

しかし、それでも私の中に偏見があったことは素直に認めなくてはいけません。

宗教関係の作家や評論家への偏見です。

何事につけ、あからさまなのが好きではないのです。とかく、宗教者の語る言葉には、物凄い正論があ

り、人を和ませる達観した世界があります。事細かに耳を傾けると、よき話、心の響く言葉があります。

しかし、どこかに宗教者だから言える世界だなと思うところがあり、宗教的フレームの言語を使い、その

フレームからこちらに発せられる言葉に経験則を感じてしまうことがあるのです。閉じた世界の中で語ら

れている気になり、広がりを感じないことが多い。それは、私のひねくれた心や不勉強のせいとはわかっ

ていますが、その気持ちが頭をもたげると、丹念に話を聞き進めることさえ、しんどくなるのです。

ま、そんな偏見をどこかに持ちながら、三春を訪ねました。

三春の目抜き通りの蕎麦屋で腹ごしらえをして、福聚寺を訪ねてみると、墓石の連なる谷底のようなとこ

ろにポツリと寺があります。峰に囲まれた盆地のような場所に寺があって、その周りを死者が囲んでいる

という構図です。

なぜか、大便をもよおし、寺の左隅にある別棟の厠を勝手に拝借して用を足しました。墓所を訪ねる方々

のためのトイレなのでしょう。厠という名がびたりとくる古びたトイレでしたが、手入れされているなと

いう感触がまずありました。多くの人が使っているという名残りはあるのに、古びていても不潔ではな

い。きっと、丁寧に掃除をされているせいだろうと直感しました。

こちらの取材の時間を玄侑さんは承知していたのかどうか。予定の時間に、別の取材が入っていて、小一

時間ほど待たされることになりました。

これだから作家という奴は…。と、愚痴の心が出たのは事実です。

刻限になり、大きな玄関を開け、声をかけると「申し訳ありません」と一人の女性が現れました。そし

て、居間に通され、座布団を勧められました。どうやら、玄侑氏の奥様らしく、予定の時間に別の取材が

入ってしまったことをしきりに詫びられます。その傍らに、高齢の女性がおられ、どうやら、その方は玄

侑氏のご母堂らしい。幼い頃、墓参りの帰りに立ち寄った遠い親戚の居間に通されたような感覚で、時候

の話題などしながら間を持たせようとしていると、そうした挨拶のような話題に小気味よく合図地や返事

を返されながら、奥さんがお茶を入れてらっしゃる。

まず、その茶の入れ方になぜか感動したのです。

来客があれば、当然、どこの家でも作法としてやるお茶の入れ方に過ぎないのですが、その奥さんの作法

というか、茶の入れ方に心があるのです。しかし、その気持ちの入れ方に力が入っていない。当然のよう

に、実にさりげなくそれをやっていらっしゃる。その空気感にまずやられました。

そうこうしていると庭の手入れをされていた住職、つまり玄侑氏の父君が縁側で泥を払い、お茶を飲みに

入ってこられました。「この辺りはずいぶん静かですね」などと差し障りない会話から始めたのですが、

どういうわけか、話題は昨今のせちがらい世の風情に及び、その流れから、私がつい、戦後の人間には免

疫力がなくなっているなどと話はじめ、以前、講演で招聘した、藤田紘一郎氏から聞きかじった知識を披

露してしまったのです。

それは、江戸時代まで人の糞には値段が付いていたという話。

落語によくある場面ですが、熊さんや八っさんはまともな稼ぎがない。あっても宵越しの金は持たない

と、すぐに使ってしまう。だから、大家さんが再三家賃を取り立てにきても、あれこれ理由を付けては

払わない。ま、払わないというより、払えない。そんなとき、大家さんが、「ま、お前らはくそをするか

ら、置いといてやらぁ」と捨て台詞を言って帰っていく。つまり、江戸庶民の貧乏長屋の生活で、家賃を

滞納しても大家さんが大目に見てくれていたのは、長屋で排泄される糞がお金になったからという話。

なんでも、糞の臭いを嗅いで、これはいい糞だ、これはたいした糞じゃないと値踏みをする人がいたそう

です。いい糞、つまり肥料価値の高い糞にはいい値段が付いたのです。

人糞の話をしたのは、かつて私たち日本人の体には回虫がいて、異物と共生する中で、高い免疫力を維持

していたのだという生物学者藤田紘一郎の研究の一部を紹介したかったからです。しかし、その座に居合

わせた人、みんなが長屋の人糞の話に大爆笑。とりわけ、住職はおもしろがっていました。

幸い、その話題で緊張がほぐれ、あれこれと話をしているうちに、福聚寺の周囲には桜の木があって、そ

の季節になると三春はもとより、近在の方が花見で境内の庭を散策にやってくるという話題になりまし

た。

「道の脇に植えてある花の芽を踏まれてしまいますん」。奥さんは関西のご出身らしく、その言葉は実に

はんなりしていました。どうやから、大勢が庭の道を歩くため、人が道から溢れ出し、庭の中まで歩いて

しまうらしいのです。決して悪意はないのでしょうが、決められた道をゆっくりを順に歩むということが

できないらしい。

「それは困りものですね。そうなるとロープで柵でもつくらないと周囲の花がみんなやられてしまいます

ね…」。私は何気にそう言ったのですが、するとその奥さんが「それって、悲しゅうおまっしゃろ」とポ

ツリと返されたのです。

私は、その一言に、その奥さんの美意識のすべてを見たような気がしました。

そして、思ったのです。この女性は男を作家にする女だと。

理由はありません。しかし、玄関先で私たちを向かえ、居間へ通し、差し障りない会話を差し障りない会

話のようにはせず、きちんと心を込め、お茶の入れ方にも心を込める。そして、桜の話です。

私は完璧にやられてしまいました。こういう女性とは対面したことがほとんどなかったのです。

そうこうしていると、玄侑氏の体が空き、私たちは作家玄侑宗久の書斎で撮影を開始しました。

玄侑氏も予定の時間を押してしまったことを詫びられ、私の的を得ない質問にも丁寧にお応えいただきま

した。

そして、取材を終え、寺の玄関を出ようとしたときです。最後に出ようとしたのですが、玄間が開いたま

まになっている。確か、伺ったときは閉まっていたというのに気づき、私は、行きかけた体を返し、玄関

を閉め、失礼しようとしました。ご承知のように寺の玄関というのは実に間口が広い、それを閉めようと

すると、玄関のたたきに左右別れ、玄侑氏と奥さんがまるで一服の絵のように、すっと腰を下ろし、こち

らを見送っていらっしゃる。一つの形(かた)といってもいい空気がそこにあるのです。そして

「恐れ入ります」とお二人が声をかけられます。

「いえ、どうもお世話になりました」。そう言いながら、玄関を閉める向こうに、一服の絵のようにお二

人の姿が毅然としてあったのです。

私は、その瞬間、何かに打たれたような強い感動と、この三春の寺に来られてよかったという喜びでいっ

ぱいになったのです。もう一度、訪ねたい。その思いが強く心に残りました。

取材の折、私がサミュエル・ベケットの反プルースト論の話をし、人間は錯覚しているが、昨日の自分と

今日の自分、明日の自分には実は何の連続性もないという不連続性と人間は記憶をいかようにも作り変

え、空想や幻想の中に生きられる以上、時間は不可逆性ではなく、ときとして可逆なのだという時間と意

識、記憶と幻想について語ると、玄侑氏がぜひ自分の本を読んで欲しい。私の本にはそれがテーマとして

あるというような意味のことを言われたのです。

私は、三春での強い体験とその言葉から、玄侑氏の著作を読み漁りました。

そして、わかったのです。

玄侑氏の小説のモチーフに奥さんという存在はどうしても必要な方だったということです。

私は自分の直感が間違っていなかったことを氏の小説の中で確信しました。

三春での不可思議な体験です。