秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

不思議体験 其の二

ある美しい女性と生活していたときのことです。

その女性は気性が強かったのですが、その強さの分、実に繊細で脆いところがありました。

気性の激しさと脆さ。それを象徴するような外見の美しさ。そこに惹かれ、一本の小説や映画がつくれる

ほどの激烈な恋愛をして、一緒に生活するようになったときです。

私は当時、ある事情があって、週末を彼女と過ごすことができませんでした。毎週末金曜や土曜の夜は家

を留守にしていたのです。

私の住んでいる場所は、都内でも環境のいい住宅地として知られていますが、実は墓地の多い場所です。

私の住居ももとは、浄土宗の墓地のあった場所を一部削って造成された土地に立ています。すぐ近くには

都内でも有名な霊園があり、土地柄、霊的な場所としての噂も少なくはないところです。

週末家を空け、翌日の昼に帰ると、彼女は寝室のドアを閉め眠っています。ところが、家中の明かりが付

いたままなのです。

私は「電気の無駄使いじゃないとか」と彼女を叱りました。しかし、彼女は「こわいから…」と言うので

す。「子どもじゃあるまし」。そう笑う私の言葉に彼女は、悲しそうに、「だったら、週末家を空けない

で」と言います。確かに彼女に寂しい思いをさせていることはすまないと思います。しかし、私が週末家

にいられない理由も彼女はよくわかっているのです。それを承知でそう言う彼女をかわいそうだとも思

いましたが、当時の私にはどうすることでもできません。それが彼女にもわかっていたのでしょう。その

とき、彼女はそれ以上を語りませんでした。

しかし、しばらくすると、彼女は週末、明け方近くまで飲んで帰るようになりました。私はそこでも、彼

女を責めました。ひどく酔い、朝の5時、6時に帰る彼女に苛立ち、彼女が酔って遅く帰宅する理由がわ

からず、口論となり、一度だけ、おもわず、手を上げてしまったこともありました。私は、毎週末の留守

を隔週に減らし、彼女の不安に応えようとしていました。それを理解せず、彼女はただ単に夜遊びを楽し

んでいるとしか思えなかったのです。

恋愛中、彼女は寂しさから、他の男性に走ったことがあります。その原因は私にあり、私が責められるべ

きことだったのですが、彼女が他の男性に走ったこと、そして、その男性とのキスシーンを偶然目撃した

ことが、私のトラウマとなっていました。自分の非を棚に挙げ、そういうことがあるかもしれないと私自

身が慄き、彼女を自分の檻の中に閉じ込めようとしていたのです。

彼女が思い通りにならないと、説明のできない不安と怒りがこみ上げるのです。それは私の弱さそのもの

でした。

あるとき、いつものように彼女はひどく酔って帰宅しました。そして、また、ひとしきり口論となりまし

た。そして、彼女は私の暴力を恐れ、台所から包丁を持ち出したのです。彼女が怖れているのは私の怒り

や暴力なのだ。私はそのとき単純にそんなふうにしか考えられなかったのです。二人でにらみ合い、すぐ

に彼女はその場に泣き崩れました。そして、彼女は言ったのです。「もう喧嘩はやめましょう。私たちを

別れさせたい人は私たちの喧嘩見て喜んでいるわ…」。

私にはその意味がすぐにはわかりませんでした。「ここにいるのよ。私たちを別れさせようとしている人

が」。私は「何を言ってるんだ」と苦笑いしました。すると彼女は、「ここに幽霊がいるの。いっぱいい

るの」と真顔で言うのです。霊感が強いことはこれまでの交際の中で知っていました。しかし、私にはこ

こに彼女が怖れるほどの霊がいるとは思えなかったのです。「どうしてなのかわからない。あなたが部屋

にいるときは平気なの。でも…」。そして、彼女はこれまで私に話さなかったことを語り始めました。

私がいないで、初めて一人で部屋で寝ているとき、しきりと人の話し声がしたのが最初の体験だったので

す。そのうち、夜、ベットで、私がいないとき、いても彼女の横で熟睡して眠っているとき、彼女の足元

から誰か男らしい人の手が伸びてきて、彼女の体をまさぐり、彼女の中に入ってくる霊がいたのだという

のです。最初、すぐには気づかなかったらしいのです。しかし、体が反応し、夢が現か、判然としない中

で、確かに自分の中に「男」が入ってくるのがわかる。そして、行きそうになる瞬間、その霊はいなくな

っていると言うのです。「おれとのHのことを夢で見ているだけじゃないのか」私は、笑い話にしようと

そんな軽口を叩きました。しかし、心の中では、自分の女をそんなふうにしている霊に、怒りを覚えま

した。「おれがいるときだったらすぐに起こせばいいじゃないか」そう言ってごまかしたのです。

しかし、彼女は「声が出せないの…」と言うのです。

彼女が毎週末、明け方まで飲んで帰るのは、それが怖かったからだったのです。

私たちを別れさせたい霊のせいだったか、どうかはわかりません。私との生活に疲れ、精神的に弱ってい

たから霊を体験したような錯覚に陥っていたのかもしれません。

しかし、それから二年ほどして、私たちは別居生活を送るようになり、その一年後、別れさせたい人たち

の思惑通り、別れました。

彼女がいなくなって一年以上が過ぎた頃でしょうか。私の友人の映画プロデューサーの女性が電車がなく

なり、私の部屋に泊まっていったことがあります。彼女とは仕事のパートナーで恋愛関係にはなかたので

すが、そのとき、彼女は言いました。

「あなたがいるときは平気なの。でも、あなたがいなくなると人の話し声や気配がすごくするの…」

それは、私が愛した彼女が言った言葉と同じものでした。

そして、私は思い出したのです。

彼女と恋愛時代同棲していた部屋を喧嘩別れして、出て、その後、再び交際するようになって部屋を探し

ていたとき、最初に同棲していた部屋がそのまま空き部屋になっていたのです。部屋の管理人はそのとき

こう言いました。「この部屋はあなたをずっと待っていたんですよ、住んでほしくて…」。

実は、私は彼女と別れた後、薄く転居も考えましたが、いろいろな事情で転居する経済的なゆとりもな

く、本音のところ、この場所や界隈がすごく好きなのです。

私も多少の霊感はあり、たまに怖いなと感じることもあります。しかし、何かが私を待っている。ここで

私がしなければならないことがあるような気持ちがあって、離れようという気持ちが強く沸いてこないの

です。霊的な感覚というのは本来、性的なものです。人間の情動と深い結びつきがあるからです。

物書きや物づくりに関わるということはどこかで死者の視点、そこにはいない誰かの視点を意識する、し

ないに関わらず持つことが必要なのだろう思っています。

自分の普段の文才や能力を超えた文章が書けるとき、そこには誰かの思いが働いています。

あるときは題材に扱った人々の思いであり、そのとき、強いメッセージを持っている誰かの力です。

自分だけの力ではない、何かの力。しかし、それはどこかせつなく、怖れを過ぎると不思議ないとおしさ

さえ覚えることがあります。

たぶん、私には、この界隈にある、ある空気感がいとおしくてたまらないという、何かの因縁があるだろ

うと思います。もしかしたら、それが私がいま果たさなければならない、生きる使命のようなものなのか

もしれません。