秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

その答えはそこにある 会津応援バスツアー紀行5

MOVEの活動は震災と原発事故と風評被害による福島県の再生、新生である。それは紛れもない活動の目的だ。
 
だが、それは同時に、なぜ福島なのか、なぜ福島でなくてはいけないのか…ということを自らにも、そして、他者にも問いかける活動でもあるのだ。

MOVEはそのNPO法人の定款にも、発足当時からも、HPのトップページにある、3行の願いをもとにスタートした。
 
「市民の声が生かされる地域・社会づくりを進めよう!」
「市民の力で、都市と地方、地方と地方の新しい絆を創造しよう!」
「市民の意識を育て、市民が主役となる国づくり、国際交流を目指そう!」

では、この呼び掛けはどこから生まれているのか。どこの何を出発点としているのか。それが、過去4回にわたって、このブログに綴ってきた、会津応援バスツアー紀行の中にある。

戦後70年に及ぶこの国の歩みは、実は、明治維新後の近代化という名の西欧化の延長でしかない。さらには、徹底した中央集権による統制政治・経済の連続でしかない。
 
一度たりとも、地域市民や市町村行政が主役となった国家経営はやられたことがない。近代化を独自に拓いてもいない。アジアの小国がアジアで唯一、自己のアイデンティティを放り出し、自国伝統文化への誇りを忘れ、欧米人のような猿まねをしてきただけのことだ。
 
もっといえば、戦前から戦後、そして現在もこの国の政治経済の軸は、東京や大都市の論理と都合主義で形成されてきたのだ。

維新などいう古臭い言葉に自らを投影している、日本近代の現実を知らぬ者たちもいれば、与野党関係なく、維新の志士に自己をなぞらえ、政治を語る愚か者たちが、国権の最高機関である国会にいる。

どのように、まがい物の新しさを語ろうと、所詮、この国の誤った近代の現実に眼をむけない限り、次の新しさのビジョンなどみえてくるわけがない。これまで通り、都市の顔色をうかがい、大企業に依存し、アメリカに依存し、その顔色をうかがうだけの他力や権威に依存した政治経済構造が続くだけだ。

日本近代が歩んだ歪な道は、守るべき地方とそこにある伝統文化を捨て、地域力を軽視し、都市一極集中、大企業優先の寡占化によって、金太郎飴のようなどこにでもある、活力のない地域を生み出した。
 
自ら創意工夫し、地域に根を張り、都市を向くのではなく、自らの土地の文化と歴史と人を誇りとし、独自の歩みを歩む道を閉ざした。
 
結果、地域の疲弊とともに、国の活力も失っている。その元凶に、維新があり、日本近代がある。

では、その流れにあがらったものはいなかったのか…。
 
戊辰戦争会津・二本松・白河・平ほか奥羽連藩同盟)、佐賀の乱(佐賀)、神風連の乱(熊本)、秋月の乱(福岡)、萩の乱(山口)、西南戦争(鹿児島・宮崎)。そして、それらは、敗北した後、市民による近代憲法設立運動でもあった、自由民権運動(土佐・相馬・浪江・三春・会津・喜多方・秩父気仙沼陸前高田ほか)へつながる。

維新の入り口に福島があり、中央集権政治、明治近代への反旗として結実した自由民権運動の中心に福島があった。

福島は戊辰戦争という悲惨を引き受け、自由民権運動の中心地として辛酸をなめた。そして、いま、安全性の立証などどこにも根拠のない原発の事故によって、苦難の中にある。しかも、福島第一原発自民党政権時代、中曽根・正力を中心として、アメリカの押し付けで設置された、原発である。
その電力は、オレたち東京に住む都市の人間のためのものだった。
 
なぜ、福島なのか。なぜ、福島でなくてはいけないのか。その答えはそこにある。
そして、その答えとして冒頭の3行を小さくてもいい、福島新生のひとつの形として国内、そして世界へ発信できれば、その答えが目指す姿が必ず出現する。