秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

言葉とふるまい

ぼくらは気づいていない。ぼくらの言葉がいまや物事をとらえるどころか、そこにある真(まこと)をつかみ取ることにも驚くほど、無力だということに。

言葉が費やされるほどに、言葉は潰(つい)えていく…。

そんな時代は、じつは、もうずいぶん前にぼくらの前に出現していた。言葉を費やすほどに、意味はあいまいになり、本質があいまいにされ、言葉への信頼は希薄となり、さらに言葉が力を失っていく。

それをどう乗り越えられるか…。そこに文学も、演劇も、映画芸術も、思想家も、学者も、美術や造形においてさえも、知性ある市民も、たくさんのエネルギーを費やし、いまも費やし続けている。

だが、その重要な課題から常に逃げる連中がいる。言葉の空洞化に気づかず、意味性にだけ頼る、世間を基準とした言葉しか知らない大人たちだ。政治家も、経済人も、評論家も、ジャーナリストも、教育者も、マスコミ人も…

答えは簡単だ。どのように言葉の力が衰えても、彼らは既存の組織、集団、世間の枠組みに帰属した言葉を必要とし、そこから出ることができない。そこでしか通用しない言葉とそれが生む常識を離さない。覆せない。

イノベーションが利益だけのためのうつろな流行語のようにしか存在せず、ただの言葉遊びの概念でしかなく、世界を変える抜本的な変革へ踏み出すことも、古めかしい言葉が規定してくる、ふるまいへの規制を変えることもできない。

仮に必要性を感じていても、言葉を変更することは、単に言葉だけのことではなく、組織、集団、世間の枠組みをも変更しなくてはならないことをよく知っているからだ。変更することで奪われるものを知っている。

言葉を同じにするという癒着がもたらされてきた利権や既得権を当然のものとする言葉に彼らは固執する。それを守るために常識の顔をした、まやかしのふるまいや作法までも編み出しながら。自分たちの居心地のいい、ナンチャッテ世間を守るためだ。

いま世界で起きていることの大半が、いまこの国で起きていることのほとんどが、これらによって生み出され、露出したとしても、露出するものを、この常識の顔をした、まやかしのふるまいと作法で覆い隠している。

ジャーナリズムの脆弱さが、政治のもろさがこれに拍車をかけ、まかやしの政策で富や地位、利権を得られる輩が財力と圧力でそれにさらに拍車をかける。

とどめようもなく、爆走する言葉とふるまいのナンチャッテ。東京オリンピック不正誘致疑惑から築地移転と東京オリンピック道路の疑惑、それらが引き起こした強引な豊洲移転。

金と利権はそこにかかわった奴らの中で分配ループし、ぼくらの税金はナンチャッテ世間を守るための言葉とふるまいに、煙幕を張られて湯水のように吸い込まれていく。

自分たちにしか通用しない言葉とふるまいがいつか、まかやしから、信念や常識になったとき、それはどの世界においても、どの分野においても、破たんの道にしかつながらない。

自分たちだけの言葉と自分たちだけに通じるふるまいは、家庭から子どもを孤立させるように、地域から家庭を孤立させるように、地域を社会から孤立させるように、国を世界から孤立させるように、拒絶と排他しか生まず、明日の活力や活性にはつながらないのだ。

もう後がない、時間がない、国の存亡、国の名誉という、ナンチャッテ言葉とふるまいで、どさくさにまぎれ、得をしようというのは、原発でも、沖縄でも、南スーダンでも同じだ。

〇○プロジェクトという名にかこつけて、ナンチャッテが大手を振って歩いている。

ぼくらが望むのは、ナンチャッテが大手を振って歩くプロジェクトなんかじゃない。

得をするわけでもないのに、利することがないのに、身の丈精一杯のこれっぽっちでも、だれも取り残さず、だれかを犠牲にせず、だれかを煙幕にまくこともなく、だれかにこびることもなく、世界に誇りを持って歩ける行進だ。