秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

だって、わたし、悪くないもん!

だって、わたし、悪くないもん!

このところ、ぼくらの回りには、言葉にするにせよ、しないにせよ、そう思う人が増えているような気がする。

自分は悪くない。それは加害者ではないという主張だ。果ては、私は悪くない、ほかの誰かが悪いのだという被害者意識にすり替えられてくる。               

このすり替えられた被害者意識…。実は、相当にやっかいな代物だ。本当は、加害者なのに、自分が被害を受けている側だと主張し始める。

自分を被害者にしてしまうことで、加害者という自覚、加害者である事実を帳消しにしてしまうのだ。すり替えとは、自分を守ための置換作用、心の働きのことだ。 

やっかいだというのは、そう開き直ると、辻褄の合わない被害者としての屁理屈、ごまかし、まやかしが本人には至極、理にかなった正当な理屈、事実に思えてくる。

これ、じつは、自己愛性人格障害によくみられる傾向だ。

まず、自分を守るためには、平気で嘘をつく。次に、加害者としての責任を人や環境に転嫁する。つまり、だれかを身代わりの加害者に仕立てる。だれかでなければ、取り巻く条件や組織のせいにする。社会や社会システム、制度のせいにする。

自分は悪くない、自分は正しく、加害者の側だと思い込むから、人の意見や忠告を聞き入れないばかりか、それが嘘だと指摘されると猛烈に反発し、圧力すらかける。

社会的な立場があり、地位や権力を持つ者が、これだと収拾はつかない。そもそも、自己愛性人格障害者は、陰湿で、狡猾、つまり、きわめてずる賢い。ねちねちした圧力をかけ、隷従せざるえないように誘導するのかうまい。

とにかく、否定に弱く、その弱さが強圧的な言動になる。そうなるのがやばいと思うと、平静さを装うために、自分の嘘を棚に上げて、第三者のようなふるまいを平気でできてしまう。

一方で、鬱傾向が強く、追い詰められると精神的に破たんしていく。そうした危機を感じると、自分をほめそやす人や自分を評価してくれていると思える、自分より力のある人にすり寄る。

どうだろう。どこかの国の首相や閣僚、官僚の姿に重ならないだろうか。政治、行政の中央が自己愛性人格障害者ばかりでは、国の未来、将来など覚束ない。

それを正しく評価できない国民は、一層、末期的だ。だけど、彼らは口をそろえていうだろう。

だって、わたし、悪ないもん!   

そこにまともな理屈も、理論も理念も、なにもない。国民のことも、国のことも、お題目として言葉にするだけで、結局は、すべて自己愛がいわせている。

つまりは、国の、政治の、税金の私物化。