秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

誇りある実現

ぼくらは、社会や世界の出来事に、事件に、いろいろな反応を示す。

憤りを感じる人、同情を抱く人、同調する人、悲しむ人、嘲笑する人、狭窄した考えで批評する人、他人事のように批評する人、狡猾に利用しようとする人…
分析する人、解釈する人…

そして、無関心な人、情報にすらふれない人…

ぼくらは、家庭、地域、社会、国で、さまざまに暮らしている。

経済的に恵まれた人、恵まれていない人、家庭に問題を抱えている人、仕事に追われている人、仕事のない人、社会とつながりが持てず苦しんでいる人、自分の生き方やあり方に不安を感じている人、いない人…

夢を抱いている人、夢の持てない人、毎日を楽しいと感じられる人、そうではない人…

地域にかかわっている人、いない人、社会にかかわっている人、かかわろうとしている人、しない人…

ぼくらは普段、なにひとつ意識していないかもしれないけれど、その基本に、基準にぼくらの憲法がある。

そう。日本国憲法というと、どこか国や政府がくれたもののように感じるけど、それは、ぼくらの憲法なのだ。

ぼくらが、社会の出来事や事件にいろいろに自由に物が言えるのも、無関心でも許されているのも、議論し合えるのも、それを憲法が保障してくれている。

ぼくらが、いろいろに生活があり、その生活ができるのも、生活に不具合や問題があれば、それの変更を望むことができるのも、生活を営む上での困難や支障があったとき、その救済と支援を要求できるのも…お金持ちになることも、すべて憲法が保障している。

いや、現実はそうなっていないじゃないか。そう感じる人は少なくないだろう。そうなのだ。憲法は、達成されたものではない。

国民が国会、政府・行政、司法に対して、そうあるように努めよと要求し、宣誓させた、あるべき国の姿、国民生活の姿を示したものだ。

だから、国民が自らの血税で彼らの生活を支え、専門職として雇い、あるべき状態になるように努めさせている。彼らは所詮、国民に雇用された者たちに過ぎない。だから、邁進して憲法の実現のために、努めなくてはいけない。

どうも昨今の彼らはそれを勘違いし、国民より自分たちが憲法を自由に変更できるものだと傲慢なことをやっている。

まちがっても、彼らが好きに解釈を変えたり、改訂することが許されるものではない。ましてや、憲法を無視し、勝手な政治的行動や政策を実行することは許されない。

やるなら、すべての解釈変更、改訂変更のひとつひとつを国民投票によって確認しなくてはならない。衆議院解散総選挙などといったものは、これにまったく当てはまらない。憲法変更のための投票ではないだからだ。これも昨今は勘違いが甚だしい。

70年経っても、憲法のすべての条文条項が現実になってはいない。それほど、ぼくらの憲法は普遍的な価値Universal Valueを世界に掲げ、人類の理想とあるべき未来を示しているから。

その誇りある実現へ。それはどれほど、未来を生きる子どもたちに希望と夢と自信を与えるだろう。この国だけでなく、いま内戦や紛争にある世界の子どもたちにも…。