秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ありがたさを知らない人々よ

たとえば、「永遠の0」という小説や映画が美談としてヒットする。
 
たとえば、沖縄県知事が公約違反なんて言語道断と開き直って、普天間基地の県内移転を安部政権の飴玉政策と引き換えに承認する。貧しいやつは札束で転ぶ…それを地でやっている。
 
たとえば、いまや密接なつながりにある韓国や中国に対する不快感が憎悪や偏見、差別や誹謗中傷といった低俗な感情に転換されていく。互いの品性のなさが、より品性のない世界へとスパイラルしていく。
 
安部カラーがその先陣を切り、公共放送の会長に息のかかった浪花節おやじが登場して、軽薄で品性のない発言を公的な会見で私事にし、つつかれると撤回で事をすませる。
 
そして、先般の低投票率の中で、その安部カラーに迎合する都知事が誕生した。途端に、昨年来、経産省原発をエネルギー政策の基本とする方針が一気に勢いづいた。
 
この国の人たちは、この国の首都に暮らす人たちは、いったいどんな国を目指しているのだろう。あるいは、物言わぬ人々は、なにに安心し、なにをあきらめているのだろう。
 
人を傷つけ、隣国と不仲になり、勝てるもの、持てるもの、大なるものが正しいとする国、社会への道を疑うこともなく、国際社会から疎ましく思われるとも自覚せず、歩み続けようとしているようにしか、私にはみえない。
 
そのような基準では世界は立ちいかないという現実の中で、苦慮し、煩悶し、第三、第四の道を必死に模索する時代の中で、それは古色蒼然とした、終わった規範とルールと古びた基準にすがる愚者の道に見えるのは私だけだろうか。
 
人は世界を知っているという。だが、この国で流されるマス情報のどこに、東南アジアやアフリカやアフガンやイラクなど中東や…あるいは、福島、宮城、岩手の被災した日常のなにが恒常的に流されているだろう。何を知っているだろう。
 
アメリカやEUの情報ですら、生活者の情報として、私たちには届いてはいないのだ。
 
その程度の情報のアンテナとその程度の情報で世界がわかったようにカン違いしている人たちの、いわゆる歴史認識なぞ、吹けば飛ぶような井の中の蛙程度のものでしかない。
 
私たちは日本人だ。だが、同時にアジア人だ。そして、さらに、地球人だ。日本人であることは、アジア人、地球人としての自覚の中でこそ、あるべき姿が見えるのだ。

偏狭なナショナリズムは無知な愚者のやることだ。真のナショナリズムとは、世界の、地球の信頼されるリーダーたろうとしたとき、初めてその姿が見えてくる。
 
そのすべてが日本国憲法前文に書かれている。
 
おバカな憲法改正論もいいかもしれない。この国の、この首都に暮らす人々に日本国憲法はもったいなさすぎる。同胞300万人のいのちと引き換えにえられた憲法のありがたさがわかっていない。
 
永遠の0もそういう見方をしなさい。ありがたさを知らない人々よ。