秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

恥ずかしい

沖縄、滋賀、そして、今回の佐賀県と自民公明推薦候補の落選が続いている。
 
これまでの知事選での勝利の方が多いだろと無知な人は思うだろうが、他は与野党相乗り。福島県知事選挙では、対立候補を出せば原発廃炉や補償、再稼働の問題が浮き立つから避けてすり抜けた。

大方の予測では、現状のままでは統一地方選で、国民、野党の寝首をかいてやった衆議院議員選挙のツケがくるといわれている。

ご存じのように、現行の国政選挙のシステムでは、党の得票率がそのまま選挙結果に反映されない。かつ、小選挙区は大量の候補者を擁立できる選挙資金を持つところが有利。さらには、一票の格差違憲のままという、正当な選挙制度からほど遠い。

また、投票率は低い方が、組織票を持つ、自公にとって都合がいい。
 
一方、地方選挙では、この自公に都合のいい制度や寝首選挙が機能しないし、できない。
 
だが、こうした選挙制度の問題よりも、社会保障の大幅カットと地方への委譲、生活消費財を中心にした物価の上昇、地域中小企業の経営難など、中央と地方の格差と実状理解の差があまりに大きいことに地域の人々が気づいてきているからだ。

沖縄の米軍基地移転の問題しかり、原発再稼働の問題しかり、復興事業しかり、政権を始め、中央官庁が官僚言葉、答弁口調で、地方生活者とのきちんとした議論の場を避けている。
 
国民が求める政治と施行される政策のかい離。それはどのような政権でも生じることだ。国政と地方行政では取り組む優先順位も、目の届く範囲も違っている。いや、違っていてこそまとも。
 
だが、その差異や相違を詭弁でごまかしたり、議論を避けてうやむやにしたまま突破するのではなく、正面から受け止めていかなくてはいけない。結果ありきで理解を求めるというのは、議論ではなく、押し付けだ。

議論を生む政治を形にできない国民力、市民力こそが本質的な問題ではある。ただダメな政治、政治家は当てにならない、投票しても仕方がないではなく、どうしてこうならないのか、できないのか…という疑問と稚拙でもいいから、こうしよう、こうすればできるのではないかと解答を持つことだ。

最近、やたら、日本力とか、日本人とはとか、日本の食だの、日本の美など、自国の誇りをタイトルや表題にしたものが出てきている。
 
だったら、もう少し真剣に、自分たちが生きる国について考えてみてはどうだろう。言葉だけが踊るとき、そこには、現実を見ない、軽薄なナショナリズムだけが舞っている。それは、誇りどころか、恥ずかしい国だ。
 
それら美や誇りを生み出した、先達の人々に恥ずかしい