秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

私たちの進むべき道

昨夜は、ユダヤ系カナダ人で、日本の伝統工芸や古典芸能のドキュメンタリー作品をコツコツ制作しているトロント在住のMと彼を紹介してくれたアニメ制作会社のK社長と久々の情報交換の飲み会。

Mは、ニューヨークにも拠点があり、東京の赤坂にも拠点がある。仕事の関係で年に何回か東京に来訪する。

じつは、Mのやっている希少価値は高いが、これまであまり見向きをされていなかった、「古き日本文化」の映像に追加撮影のコメントなどを加えて、再生しようという取り組みは、いまの日本に、日本人にとって重要なことだと思っている。

読売新聞でも紹介されたが、いまMが取り組んでいる、1930年代の日本の農村の田植え風景や農村地域の民芸運動、陶芸などの美術躍進運動の記録映像は、私たち日本人の原風景や原点を見つめ直す上で重要なものだ。

以前、私は、これからは、にぎわいの演出よりも、福島の再生、新生に、地域の伝統芸能や工芸、祭事の見直しが必要だと書いた。それはまた、福島に限らず、日本の地方、地域の再生、新生にも生かせるものだと述べた。
 
そして、それが震災と原発事故の中で置き去りにされている人々の心の回復にも役立つと提言している。
 
その作業の一端をユダヤ系の親日家であるカナダ人がやっている。

不思議なことに、この国は、明治維新以後、西欧化のために多くのお雇い外国人、主としてイギリス、ドイツ、フランス、アメリカ人を招聘した。札幌農学校のクラーク博士もそのひとり。日本に帰化した、ラフカディ・オ・ハーンもそのひとり。
 
その彼らが殖産興業、富国強兵の近代化へ進む日本で、失われていく日本の美、江戸時代まであった、日本人の自助、互助、扶助の気質が失われていくことを嘆いていたことはよく知られている。

同時に、失われつつある中でも、わずかに残されたそれらに、深い敬意と尊敬、そして高い評価をし、オハーンのようにそれを文学で残そうとした外国人もいる。
 
つまり、日本人以上に、当時の日本の政治家や財界人より、日本の良さ、先進国家が失った美を彼らの方が知っていたということだ。
 
私が度々、運動や散歩で通る青山墓地。その中心道路の途中に、このお雇い外国人でありながら、帰国することなく、日本で亡くなった外国人墓地の一画がある。

自ら大学で日本人の若い学生たちに教鞭を取り続けることを選んだ外国人もいれば、病気などで客死し、故郷を見ることなく亡くなった外国人技術者もいる。

だが、いずれにしても、この人々の支えによって、いいも悪いも、日本は、西欧諸国とは異なる、自国文化の全否定という形で近代化を果たしたのだ。そのボタンの掛け違いで起きた、歪な近代を私たちはまだ乗り越えられないでいる。

Mの仕事は決して華やかな仕事ではない。もちろん、それがビジネスになるから続けているのだろうが、決して法外な利益を得ることを目的とはしていないだろう。Kさんも社会的意義や使命で仕事をしている。

極端な豊かさとは出会えなくても、意義ある仕事と使命感を与えられる仕事…多くの亡くなった外国人たちにも、それがきっとあったと思う。いつか、その教え子たちが、自国の文化に目覚め、歪な近代を修正できる日を信じて。
 
そして、それに恥じない国であることが、私たちの進むべき道だ。