秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

アノミーからの脱却

現実生活の中で、いろいろなつながりが希薄になり、人々が満足する幸せ度数が多様になれば、これまであった、家庭や企業、組織、地域の枠組みが緩くなるのは当然のことだ。
 
たとえば、高度成長期に、家庭にテレビが入る…ということが家族共有の生活目標であり、家族が家族であることを実感できた時代。家族が共に食事をする動機づけもあったし、そこでの話題も拡散することはなかった。だから、親子、兄弟喧嘩があってもすぐに修復できたし、それがことさら、家庭不和の原因になることもなかったのだ。
 
60年代の青春映画の名作で『若者たち』という作品がある。制作は俳優座映画部、配給は東映。テレビの連続ドラマから映画化され3部作で上映された。これは、その後、『ひとつ屋根の下』というフジテレビの連続ドラマの元ネタにもなっている。
 
その中で兄弟が政治や仕事、恋愛について、ちゃぶ台をひっくり返すほどの議論をする場面がある。だが、家庭、兄弟としての枠組みから逸脱することはない。この作品に限らず、木下恵介から向田邦子ホームドラマまで、テレビドラマの多くが、家庭の食卓における対立、葛藤を軸に展開する。
 
実際、オレの育った家庭でも、テレビドラマやニュースを見ながら、それを家族の話題とし、ときには、議論し合うこともあった。しかし、やがて、それぞれの生活の目指すものが変わってくると共に同じテレビを見、同じ音楽を聴き、同じニュースをとりあげる…ということはなくなった。
 
だが、それは、家族の構成年齢が上がっただけではない。高度成長から成熟した社会へと変化する中で、年齢の問題ではなく、いろいろな生活のリソースが多様に提供されるようになったからだ。

いま家庭、企業、組織、地域、もっといえば国を覆っているのは、この多様性によるつながりや選択の大きなかい離だ。それが、政治においても、地域社会においても、家庭内、学校内においても、いろいろな混乱と混迷、そして、停滞の要因のひとつになっている。
 
では、つながりや枠組を回復すればいいではないか…とだれもが思う。しかし、不思議なことに、現実の生活の中でそれをしようとしてもうまくいかない。簡単なことだ。いままでのつながりや枠組をつくっているしくみやルール、慣習、慣例、前例、道理といったものも多様性に満ちてしまっているからだ。
 
この状態をフランスの社会学者ディルケームは、アノミーと呼んだ。社会を保つ枠組が緩み、規範が維持できなくことで起きる人々の不安状態のことだ。
 
過去20年以上、この国はこのアノミー状態からの脱却を模索し、そして、ことごとく失敗している。その象徴が自殺者数。アノミーは人々の自殺動因のひとつだからだ。これが反転すると無差別な他者への暴力にも転換する。また、婚姻へのためらい、出産へのためらいもそこに大きな要因がある。
 
つまりは、なにかと安心してつながり、そして、安全に生きられる枠組を見失っているからなのだ。

4月の多くの時間をNPO法人MOVEの事業計画書の作成に費やしている。だが、同時に頭の中には、この活動をやろう考えた動機になっている、次に制作したいいくつかの作品がある。この20年、もがき続けている、この国、社会、家庭に、ひとつの新しい指針を示すことができるかもしれない…。あるいは、その表に現れない深層を開示することができるかもしれない…
 
また、予想した通り、少年による事件が連続している。時間がない。急ごう。