秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

久しぶりのJIN

「じゃがのう、先生。お人よしで、こんな真っ正直な先生がいる、みんなが幸せに笑っていられる国をわしはつくれたんじゃろうか…な、先生…」

眠れなくて、かといって仕事をするほど頭もクリアではなく、そういうときはテレビをつけて気分転換になる番組はないかと探すのだが、そういうときほど、ろくな番組はやっていない。

なぜか、ふと思い出し、ハードディスクに録画してある、TBSのヒットドラマ「JIN 仁」を見始めたら、止まらくなり、週末、全シリーズを観てしまった。

その最終話の前で、龍馬が死ぬときに、南方医師に語る言葉だ。「もういっぺんこの国に生まれたい、そう思える国をつくることが死んでいったもんへのせめてもの供養じゃし、生き残ったもんの務めじゃと思うとった…」

そう切り出したあとに、冒頭のセリフを龍馬が語る。

いろいろなところで、維新の志士やそこにかかわった人間を美化し、礼讃する。だが、私は彼らがつくった日本近代が決して、いまを幸せにしているとは思っていない。一つの幸せの形の土台をつくり、示しただけだ。

いつも難しい話の中で、語ることだが、日本近代が欧化主義による近代ではなく、日本独自の近代を創造できていれば、明治以後から抱えている欧米依存政治、経済とは違う道を歩めたと考えている。

日本の古典芸能や美術、芸術の姿も違っていた。人々の文化も、地方と中央の格差も、現在のような都市一極集中も、核家族や地域の崩壊も、抑止できていた、明治以前の知恵が人々に残されていたのではないかと思っている。

江戸時代まであった、循環型経済のしくみも、いまになって改めて見直すこともなく、人々の生活の常識としてもっと広く残されていたのではないかと考えている。

相互扶助、互助が当たり前のように生活の場にあり、教育が学校だけでなく、地域全体にあり、社会教育が手仕事や手間仕事の中にあるようなことが、もっと残存していたのではないかと信じてる。

尊ばれるものが、尊ばれる役割と責任を果たし、支えるものが支えるための技能や技術を磨くことで、階級と引き換えに得られていた信頼や交流がそこにはあったと思うからだ。

皮肉なことに、それが江戸期までにつくられていたからこそ、近代以後、わずかな期間で西欧列強に並ぶ力を持ち、太平洋戦争を起こすことができ、さらに悲劇的な敗戦から経済大国までなりえた。

知らない人が多いが、人々の識字率、つまり読み書きの能力は、江戸末期、この国は欧米もなしえない7割以上。世界トップだったのだ。

ドラマの龍馬が最後につくりたいと考えていた国は、いま薩長土肥がつくろうとしている国ではない。そうではない国をつくりたいからこそ、徳川政権との和解と融和を目指し、政権抗争の両陣営から命を狙われることになる。

そのシーンを見ていて、深く反省させられた。本当に心から人々が笑っていられる国…。それを私はつくる努力をしているのだろうか。私たちの地域や社会、国は、150年後の未来の日本人のためにやらなければいけないことをいま、やっているのだろうか。

やっているつもりだけで、じつは、ただ、自分が楽したい、見栄と体裁を守りたい、あれがほしい、これが必要だといっているだけなのではないだろうか…

ドラマのような政治の中心にかかわることではなくても、だれもがそう思う教育や会話は自分の生活の場で作り出すことができる。

そう思うと、なぜか涙があふれていた。この国の政治家に、感動してもらたいのは、「佃プライド」で豊かさや最高の技術、世界に通じるなにかへの感動ではなく、150年後に生まれ、生きる人たちの、ごくごくささやかな毎日を生きる人たちの幸せのことだ。