秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

オペレーションを変えよ

人は物事が先に進まない、動かない…ということにいら立ちを覚える。かといって、事を進めるのに、事前の相談や打ち合わせ、下話、いわゆる下打診といったものがないと、これもまた、苛立ちを覚える。

動かそうとしているが、根回しに手間ひまをかけていると不平不満が生まれるし、かっといって、根回しをしていては話がまとまらず、前へ進めないからと、無視はしないまでも、形ばかりの根回しで事をを終わらせると、これまた、かえって不平不満を生むということだ。
 
ある人はこうした、ある意味、人の身勝手さが許せない。前へ物事を進めたいなら、オレたちの言う通りにしろ…とばかり、手続きを勝手に先へ進めてしまったりする。そこでは、もはや不平や不満でなく、反発や怒りが生まれる。
 
そして、最後には、そうせざるえない義や道理を持ち出して、大義のため、国益のため、地域のため…といった理由にすり替え、人が犠牲になること、人の生活にしわ寄せがくることをやむなく容認させる。

この国の人は一時的にいろいろなことに反発しても、それを引きずり、闘志を燃やす…ということが苦手だ。そこそこに自分及び自分のわずかばかりの周囲の人々の暮らしや毎日の暮らしに支障がなくなれば、それも大義のため、国益のため、地域のために仕方なのこと…と、結果的にだれを、どこかを、なにかに犠牲を強いる。
 
そして、それがやむえないことであり、仕方ないこととして切り捨てる。切り捨てることで、自分たちの責任を見ないようにし、見ないようにすることで放棄する。

沖縄の問題も、福島の問題も、そして、原発の問題も、これまで放置されていた国境の問題も…もっといえば、膨らんだ財政赤字も、届かない福祉行政も、すべてそうしたしくみと心情と人々のあいまいさによって導かれてきたものだ。

いつも語るように、面や現象でしかときどきの情勢や時勢、状況を把握せず、人の顔を、人の生活をふりかえる点の視点がない。ひとりの人、ひとりの生活者の幸せの実現と地域や国の幸せの実現を別箇にしか考えない。
 
人なくして国家なしという原理原則が見えていないからだ。あなたたちがいう大義とは何なのか、国益とは何なのか…それを基本から問い直そうとしない。世界は変わり、国というものの理想も変わった。ソーシャルネットワークがますます広がろうとするいまの時代に…。

沖縄はまた、助成金や振興基金という名のもとに、また、この国の人々から見捨てられようとしている。それを一番知っているいるのは、当然ながら、沖縄の人々であって、他の国民、政治家ではない。
 
こうしたことがまた繰り返されるということは、同じように、だれのかもわからない大義国益のために、また、どこかの地域や地方の人々の生活が見捨てられて、切り捨てられるということだ。

この旧態然とした、どうしようもないオペレーション(カッティングオペレーション)=いじめを変えるのは、自分たち自身でしかない。