秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ツケ

宮澤賢治は一度、現実から逃避したことがある。

父との確執から上京。信奉する法華経の勉強の傍ら、のちに発表される童話の多くをモラトリアムなその時期、書き綴った。

東京での生活苦と妹とし子が肺病にならなければ、きっとそのまま東京で過ごし、農業指導者としての賢治は誕生しなかったかもしれない。

帰郷した賢治は、それでも再び上京することを考えていた。それを引き留めたのは、とし子の言葉だ。

「賢治兄ちゃんさ。法華経こそ人を救うと言い張るけんじょ、兄ちゃんのやってるこだぁ、あべこべだべ。法華経は、いま目の前にいる人を救う教えだべ。だば、なして、花巻、盛岡、自分が生まれ、育った土地で困っている、東北の農家の人だち見捨ててるんだ?」

賢治にしてみれば法華経修行のための遊学だった。そこには生活苦もあった。その苦の中で、自分は救いの修行をしているつもりだったのだ。

だが、とし子は、現実に塗れ、苦しむ人に寄り添ってこそ救いなのだと賢治を折伏させたのだ。そして、とし子のいう通り、賢治の心のどこかに、父との確執を理由に、東北の現実から逃避している自分がいることに賢治は気づく。

いま目の前にある課題、いまそこにある苦しみに対して何ら手を施さず、距離を置き、童話を書きたい、詩を発表したいという利己の心が自分の中にあることを自覚したのだ。

とし子の死によって、賢治はそれまで以上に身を削るように東北の貧農のための取組に没頭し、とし子の後を追うように亡くなっている。

いま、この国の政治の腐敗は底なしだ。虚偽と欺瞞に満ちた政権は無論のこと、それを擁護する連中が厚顔無恥に隠蔽や言い逃れ、反対を唱えるものを強圧的にパッシングする。海外の良識ある人々が見たら、民主主義が根底から壊れている最低国の極みだ。

だが、そうした政治や社会の現実から距離を置き、無党派といわれる多くの人たちが、自分のやりたいことさえつづがなく、滞りなく実現でき、自分の生活が安泰ならば、それでいいと考えている。

政治や社会とコミットすることがまるで、大きな不利益をもらすかのように。政治や社会の課題に意見を述べ、政治を糾すことが邪なことでもあるかのように。

自分や自分の仲間たちの楽しい時間に埋没していることで、社会的な役割を果たしているような気になっている。

だが、それは、とし子にいわせれば、いま目の前にある課題、自らが生まれ、育ったこの国の課題から目を背け、現実から逃避していることだ。

そのツケは、あなたたちが払うか、払わないで済むとしたら、あなたの子ども、あなたの後の世代があなたの想像もしなかった大きな、大きなツケを払わされることになる。