秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

あなた自身が

ぼくらは普段、憲法を意識していない。

人によっては、憲法の条文をまともに読んだことのない人もいるだろう。中学や高校で学んだはずなのだが、全く覚えていないという人もいるに違いない。

確かに、日々の生活で憲法を意識することも、憲法を知っていないと日々の暮らしですぐに行き詰まるということもないかもしれない。

だが、その意識しないでいられる生活を根底で支えているのは、じつは憲法なのだ。日々の生活が平穏である場合、あるいは、試練や困難があっても、乗り切れる程度のものであれば、憲法は人々に強く意識されることはない。

そっと、ぼくらを守ってくれている。それが憲法だ。

だが、もしあなたが、職場や学校、家庭、地域社会で、乗り越えられないほどの困難や試練にぶつかったとき、あるいは、偶発的であれ、必然であれ、犯罪や事件に巻き込まれたとき、家族に介護を必要とする者を持ったとき、自分の尊厳や権利が蹂躙されたとき…

その救いと保障を与えてくれるのは憲法なのだ。平時にあってではなく、何か事あるとき、ぼくらを守り、生活を保障し、人として生きる権利とぼくらの次の世代、またその次の世代が生きる未来を守るのが憲法だ。

どの国においても、憲法の条文がそのまま国のあり方、国民生活に反映している国などない。現実は、憲法の条文に謳われた理想を達成してはいない。

憲法は、第一義として、まず、日々の生活の中で、また、刑法や民法、商法などの法律の制定や施行、改正によって、その理想を実現しなくてはいけないものなのだ。

そして、その意志と決断は、国民であるぼくらひとりひとりのものだ。決して、国会議員のものでも、政党のものでも、まして、内閣総理大臣のものでもない。

そもそも国会議員が国民の代表者であるという憲法の前提は、すでに壊れている。

ひとつには、国民の総意を反映できていない、一票の格差。これは最高裁違憲と指摘している。ひとつには、国民の半数以下の投票率。そして、もっとも問題なのは、小選挙区制度と比例区という国会議員の選出法。

投票率が低いほど、大規模政党、組織票を持つ政党が圧倒的に政権を維持できるという乱暴な制度だ。この制度は、無党派層の政治への関心を弱めている。一票の有効性を確信できなくさせているからだ。

ずぶずぶの選挙制度と旧来からの地域エゴや企業エゴ、利権と結びつく政治では、あまなねく国民の声を代表する国会議員などわずかしか当選などできるはずがない。

もちろん。その責任は主権者である国民にある。憲法の理想を実現しよう。理不尽な社会状況、不条理な生活を自らの権利として改善しよう。そうした意志を絶えず持ち続けることで憲法は守られる。

自らを守る憲法は、自ら守ることによって憲法足りえ、民主主義・平和主義・基本的人権の保障を謳う世界に誇る日本国憲法足りえるのだ。

あなたがこの憲法記念日にさえ、憲法を意識しないでいられるのは、その世界にも類をみない3本柱の憲法が、あなたを守っているからであって、これが壊されることは、あなた自身があなたを守るすべを失うことを意味している。