秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

福島取材弾丸トラベラー紀行1

被災地の自立…。それはいうまでもなく、被災した人々自身が主役になり、進めていかなくていはいけないことだ。

震災直後からしばらく、総理や政府、東電社長に土下座しろと抗議する原発避難、警戒区域から避難施設で不自由な生活をおくっている住民の一部の人たちがいた。
 
誤った対策、ずさんな設備管理によって、地域を奪われた恨み。住み慣れた家を離れた生活の難渋がそうした怒りに変わる気持ちはわからなくはない。だが、少なくとも原発を受け入れ、それによる経済的恩恵を受ける選択をしたのは、その地域であり、そこに生きる、その人たち自身だ。
 
東電にだまされた。そのときはわからなかったというのは詭弁だ。危険と背中合わせであることも、その代償として地域力の欠落を補っている事実もそこに暮らしていた人たちは知っていた。これは福島に限ったことではない。背に腹はかえられられない…それを言い訳にそうした選択をしてきたのだ。
 
震災直後からそこのとはいろいろな場で語ってきたし、原発地域の人たちとも話した。そして、私が会ったすべての人が、批判するだけではなく、自分たち自身の選択の曖昧さに気づき、だからこそ、正当な補償金は要求するにせよ、それにぶらさがるのではなく、自分たちの足で立ち上がらなくてはいけないという決意を聞いた。
 
もし知らなかったと抗弁するなら、それはいかに原発というものに無知であり、不勉強であったかということだ。それにすり替えた脱原発、反原発運動は説得力もなければ、国民的賛同や共感、合意はえられない。
 
それを棚上げにして、悪者、加害者をつくり、それを攻撃することで自己責任を回避する。その体質が、原発の拡散をゆるし、地域力の再生や自立を阻んできたのだ。

3月から今月にかけて、福島の会津地域、中通り浜通りの様々な業種、様々な世代の人たちと会い、実状を取材し、かつ、いまの風評や津波被害の現実をどう乗り越えようとしているのかを尋ねて歩いた。

そこにあったのは、風評被害を生んでいる原発事故への非難よりも、また、それを根拠とした補償金や助成金を当てに凌ごうという思いよりも、それではいつまで経っても自分たちの地域を守ることも、育てることもできないという決意だった。

補償や助成を受けるにせよ、その思いや決意がなければ、当事者意識は生まれないし、補償や助成を地域づくり、雇用の促進、活力の再生に結びつけることはできない。
 
人々のつらい思いや苦渋の暮らしを感じ、やるせない思いを共にすることと、現実を変えていくために、どうあるべきかを語ることは別の次元の話だ。どうあるべきかを考えない、共感は共感とはいわない。

単なる同調であり、憐憫であり、同情に過ぎない。それは、福島の人々に対してばかりではなく、地域に生きる人すべてに対して失礼であり、不遜であり、不敬である。
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