秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いじめは大人の映し絵

大津市のいじめ自殺の問題で、これまで教育委員会や学校が隠ぺいしていた問題が次々に噴出している。当然ながら、教育委員会や学校は隠ぺいを認めず、その隠ぺいを崩しているのは当事者である子どもたちだ。
 
いじめには、被害者・加害者・傍観者・観衆という構造がある。被害者と加害者という二項構造だけだと、いじめは加速しないし、被害者である子どもに逃げ場がなくなることはない。いじめに対して、ポジティブに向き合い、対決することもできる。
 
ところが、そこに傍観者…つまり、見て見ぬふりをする。見て知っていても、いじめを抑止もしなければ、被害者を支える、守る…という反応をまったく示さない層が登場すると、被害者の子どもにはまったく逃げ場がなくなる。
 
そして、いじめを抑止し、被害者を支え、守るものがないとわかると、いじめはよりエスカレートし、当初、クラスや学校の一部で、影として行われていたものが、一気に表に出る。最近、You Tubeに広がるいじめの公開はこうした延長に起きている。
 
止めるものがないということが、エスカレートを誘うのだ。そうなってしまうと、子どもたちから善悪の意識が失われる。結果、いじめに直接かかわらなくても、それを囃し立てる、見て楽しむという観衆をつくってしまう。当然ながら、自分自身が被害者にならないためだ。
 
いうまでもなく、いじめを抑止するために大切なのは、いじめが起きてすぐ、傍観者を生まないことだ。被害者の自尊心を保つ拠り所となる、友人、信頼できる教師、悩みを聞いてくれる親といった存在があれば、子どもは簡単に死を選びはしない。
 
中高生の子どもたちに取材すると、一番ショックなのは、それまで親友、仲良しと思っていた友人が傍観者になってしまうときだ。子どもたちの多くが、鼻っから教師は信頼していない。そもそも、クラスにいじめがありながら、それに気づきのもてないこと自体、被害者からも、加害者からも、そして傍観者、観衆である子どもたちから、教師は、まったく、あてにされていない。

最悪なのは、今回の大津市ばかりではないが、クラスの担任がそれと気づきながら、自分自身が傍観者となって、いじめの事実を認めない。もっとひどい場合は、担任自身が観衆となって、いじめを遊びの枠の中に置いてしまおうとしたりする。
 
実は、これ、教師自身がかつていじめを見て知っているからだ。そして、教職など手堅い仕事についている人間ほど、傍観者として関わらないでやりすごしている。実は、いじめの実態も、こわさも教師自身が一番知っている。だから、口を閉ざす。
 
また、文科省の点数査定のせいで、教育委員会も学校もいじめを隠す。教育委員会権威主義が学校現場における管理職、校長、教頭まで浸透し、悪点数評価を避けようと隠ぺいさせてしまうのだ。
 
では、親はどうか。いじめ自殺が問題になり始めた当初、いじめ自殺をした被害者の両親を責める声があった。どうして気づかなかったのか…。たぶん、そんな批判をしている大人たちは、自分の子どもの心情もつかんではいないだろう。それこそ、自分の子どもだけは大丈夫と高をくくり、子どもの心もつかめず、他人の子どもの親を批判して満足している。
 
多くの子どもは、親に知られたくないと思っている。それは、親にいいつけて、問題になり、もっといじめがひどくなるのを恐れているからではない。親を悲しませたくないから、いえないのだ。
 
いつも元気で、明るく、楽しく学校にいって、みんなと仲良しでいてほしい…。親がそう願っていることを子どもはよく知っている。自分がいじめに遭うような子どもだと知ったら、親は、どんなにか悲しむだろう…。その思いから、いじめがあっても、悟られないように、家では明るく、元気な子を装う。親が子どもの様子に気づくときは、相当にいじめが進行してからというのが大半だ。子どもは親が思う以上に、親の期待に応えたいと願っている。それが子どもの口を閉ざさせる。
 
オレは、教育という視点だけなく、人権という視点から、この5年、いじめ作品をつくり続けている。その理由は、こんなくらだらない大人たちがつくった社会の、実にぐだらない保身の流儀に惑わされて、自分たちの人権を傷つけてほしくないからだ。
 
大人たち、学校も教師も当てにならない、この世の中で、自分たちの力でいじめを乗り越える術やヒントを、いじをしている子どもにも、被害者にも、そして傍観者、観衆にも学んでほしいからだ。いうまでもない、いじめは大人社会の映し絵に過ぎないからだ。
 
オレたち大人は、高齢者や女性、子どもを始め、社会的に弱い立場にいる者を本人の努力の足りなさとか、自己責任とかで切り捨て、社会から余計な者は切り捨てる世の中をつくった。強いもの、生き延びる力のあるもの、知恵のある者だけがいい暮らしができる社会をつくった。
 
大津市だけのことではない。大津市教育委員会と学校をせめて、自分たちのやってきた社会への反省ができない大人がいる限り、いじめはなくならない。それは、また、どこかで、子どものいのちを自殺へ追いやるということだ。