秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

美しい笑顔

心の安定を保つというのは難しい。この30年で、それはじつに難しくなっている。
 
私が独立して事務所を開設したとき、いつくかのプロジェクトに取り組もうとしていた中に、心の問題があった。当時、マスコミを含め、社会的な関心が高まっていたのだ。
 
大企業が社員の健康管理にメンタルケアを重視するようになり、それが生産性の向上や品質管理、労働意欲や職場環境に大きな影響を持つことを理解し始めたときだった。
 
産業カウセンラーや臨床心理士といった職業が成立する時代に入っていた。
 
一方で、高度成長期からバブル以後も続く、過重労働や長時間勤務が当たり前だった社会の歪さから、「父」の存在が希薄となり、家庭の崩壊が生まれていた。

いま、働き方、働かされ方を問う、ライフワークバランスやパワハラの問題が企業でも当り前のように意識されるようにはなってきた。
 
だが、実態は、足腰の強い大企業や福利厚生を重視する一部企業でしか現実的な取り組みはされていない。これは、いじめ、パワハラ、セクハラを始めとする人権問題においても同様。

方や、アメリカに倣い、日本ではホワイトカラーエグゼンプション(残業費が支給されない成果主義の働き方)が導入されようとしている。

自由市場主義経済はすでに世界的には、地球環境問題を含め、敗北の経済理念として認識が定着してきている。だが、この国は、低迷する経済はそれでしか回復できないと陳腐なリベラリズム(自由市場主義)にしがみつく。

だから、当然のように、うつ病はもちろんのこと、人格障害や精神的疾患の要因を本人の自己責任にしてしまい、弱音や失敗が許されない社会、笑顔と元気だけが人の評価につながる歪な社会をつくり続けている。

悲劇的なのは、自己責任をいう人ほど、人格障害や精神的疾患の顕著な人が多いということだ。

バランスに欠けた、偏った人ほど、根拠のない正義をいいたがる。そうした人ほど、自分の考えや思慮の不足に気づかない。自分は絶対だというコンプレックスの裏返しのような排他性を持つからだ。

 
自分の弱さに蓋をするように、他者に厳しく、かつ差別的で、弱さや脆さに寛容になれない。なにかで、キレやすく、筋の通らない身勝手な理屈をあたかも理念や理論があるがごとくにふるまう。

だが、それも、その人たち自身にだけ問題があるのではない。
 
私たちが心の不安定をこの30年近く、生き続けなくてはいけなくしているのは、私たちひとりひとりがつくり、かつ、つくり続けようとしている社会が、自分たちにもあるストレスや弱さ、敗北と向き合うことを避けてきたからだ。
 
勝ち負けや成功と失敗、著名であるか否か、物理的に豊かであるか否か、そうした二つだけの基準と物差しにおいてしか、自分自身を評価できていないからなのだ。

私自身、それに目覚めるまでに、いくつかの疑似的な成功体験とそれにも増す、多くの失敗と痛烈な自尊感情の喪失を体験した。それは、いまも続いている。修行なのだ。一長一短ではないことはわかる。

だが、これだけはいえる。
 
どのような不安定な人生の道すじや現実があっても、自分のそれとは違い、美しい笑顔を忘れない人がいる。美しい笑顔を見せる人がいる。

元気だからでも、苦しくないからでもない。そこには二つだけの基準と物差しではない、人の生き方や社会のあり方、国の姿が見えているからだ。なにかに縛られてはいないからだ。

そんな笑顔の多い地域、社会、国は、結局、私たちひとりひとりがこれまでとは違う新しい基準でつくっていくしかないのだ。