秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

申し訳ない

人を幸せにするのものはなんだろう…。

人権にかかわる映画や社会問題をテーマにした舞台や映画をつくってきて、福島というこの国や地方のあり方を問われる現実に向き合ってきて、いつもどこかにあるのは、そんな簡単で、一番難しい問いだ。

快楽度数、快感度数というのは千差万別だし、その対象となるものも人それぞれだろう。だから、これが幸せと一律には定義できない。

ある人にとっての幸せは、ある人にとっての不幸せかもしれないし、自分の幸せがだれかの幸せを奪うことだってある。

ある国にとっての幸せが、ある国にとっては看過できない不幸の源泉だったり、また、その逆であったりというように。

尺度がひとつしかない人たち、自分のそれが一番でしかない、ナントカファーストの人たちは、そうしたことは考えないかもしれない。

子どもの頃、「相手の立場に立って考えてみなさい」とよくいわれた。まともな親、保護者をもった人間なら、きっとそういわれてきたはずだ。できるかできないかは別としても。

だが、いまは「自分の立場になって考えなさい」が当たり前のようになってきた。

確かに、相手の立場に立つなんてことは、ほぼ不可能だ。悲しみも苦労も苦渋も苦闘も、貧困や飢えも、その人が抱える社会的な理不尽さや不遇は、その境遇や痛みにさらさなければ到底わるものではない。

大事なのは、立場にはなれないが、自分を勘定にいれず、知る、考える。そして、わからないことを学び、知らなかった現実にふれ、共に歩くことじゃないかとぼくは思っている。

知り、学び、行動する。その基本をやることだ。その中に、自然と共感や共鳴、信頼や連帯が生まれ、人を幸せにするものが何なのかが見えてくる。

昨夜、本当に、心のこもった、三品の料理に出会った。元麻布にある、sabiという創作イタリアンの店…。久々に、何かを食べて、おいしい! ありがたい!と思った。

そして、こんなおいしいものを食べられなかった若かった頃の自分や、食べさせてあげられない人たちのことを思って、本当に、本当に申し訳ないと思った。なんて、しあわせなんだろうと思った。

そんな感動を、今月21日の「ふくしまみなと未来塾交流フェア」で提供したい。提供するのはぼくではない。福島の子どもたちだ。