秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

大いわき祭ご協力ありがとうございした

大いわき祭。無事終了しました。いろいろとお力添え、ご協力いただいたみなさまに、心から、御礼を申し上げます。このブログを読んでいただいている方たちの中でも、陰ながら声援をくださった方も多いと思います。本当に、本当に、ありがとうございました。

人は年齢とともに、自分の生活や帰属している組織、立場という枠組みから踏み出すことができなくなります。
 
それは、生活の枠組みを維持し、育て、発展させる、あるいは、日々こなしていくことに追われるからです。
 
確かに、自分や家族の生活と他者がかかわっている以上、いま目の前にある生活の枠組みを守り、育てるための意識を大きく変えることは容易なことではありません。しかし、だからといって、現状を容認し、すべてを過去の事例や形式、様式にばかりとらわれていては、何一つ、未来へつなぐ何事かを生み出すことはできないのではないでしょうか。

すると人は思うのです。別に自分のような矮小で、ささやかな存在などに何ができるのだ…と。これまでと同じか、みんなと同じであれば、無難に過ごすことができるではないか…。あるいは、小賢しい知恵をしぼり、妥協の積み重ねも人としての度量をつくる道だと…。
 
確かに、その通りです。しかし、私たちの国、社会、地域、そして人は、そのようにして、戦後66年を生き、結果、かつて通用したそれが、通用しない時代を迎えてしまっています。過去30年のこの国の軌跡を振り返り、震災後のこの国の現状や世界の情勢をみれば、すぐにわかることです。
 
東日本大震災は、この国にもらたした偶然の破壊ではありません。同じ頃、北アフリカ、中東で市民暴動が起き、それはアメリカ、イギリスへと飛び火しました。ギリシャの国政破たんは、スペイン、イタリアへと拡大する危機の中にあります。そして、各地で地震をはじめとする自然災害が続いています。

地球全体が自然環境も含め、大きく変わろうとしている。
 
そのとき、私たちは、まだ、過去の実績や経験。権威や権力にたより、市井に生きる自分たちの声や願いは、小さくて、頼りないだけのものだ…と考え、自分自身に見切りをつけて生きるのでしょうか。
 
暴力や威圧、これまでのしがらみが生む見えない圧力、硬直した常識…そうしたものの前に、心の中では異議を唱え、迎合すとることをよしとしない自分がいるにもかかわらず、明日の自分のために、自分が愛する人たちのために、何もせず、現状をただ受け入れるだけの人生を生きるのでしょうか。

自分の仕事はここまで。自分の生活の枠はここまで。それで、人は真に自分の仕事や生活にプライドや矜持を持てるものでしょうか。

世界を変える力は、何か大きくて、遠いところにあるのではありません。私たち市民の小さな願いの中にこそあるのです。
 
社会を変える力は、政治家や財界人が握っているのではありません。私たち市民のささやかな生活の中にこそキャスティングボードはあるのです。

この国、この地域、この家…そこに生まれてきてよかった。もし、何事が不慮の死を遂げたとしても、もう一度、あの国、あの地域、あの家に生まれたい。心からそう思える世界、国、地域をつくるのは、あなたたち一人一人の力でしかないのです。

いのちを守り、育て、大事にし、決して、理不尽な暴力や力でその尊厳が奪われることのない人と人の関係…それをつくるのも、あなたたち一人一人の力と意識なのです。
 
その一歩は、自分がこれまで常識としていたこと、世界から、半歩足を踏み出してみる。そして、そこでふれた新しいだれかと市民同士の生活を基礎に、何事かを共に実行し、行動し、考え、一つ一つ、未来へ向けて形にしていくことしかないのです。

誇りある人間として、恥を知る人として、いま、自分がだれのために、なにができるか…自分を捨ててこそ、その一歩を人は踏み出せる。忘れている、私たち日本人の矜持を、言葉だけ、勢いだけでなく、冷静沈着に、そして、孤独を恐れず、進むこと…そこに、失われたこの国の、確かな心を取り戻す道があるのです。