秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

悲鳴

今日も地球のどこかで、世界のどこかで悲鳴が聞こえている…

それは、人の悲嘆のそれかもしれない、断末魔のそれかもしれない。あるいは、生死のそれではなく、生死をおびやかされ、いまを明日の見えない、それかもしれない…

あるいは、生死は免れても、人としての、女性としての尊厳を傷つけられているそれかもしれない…

生死や尊厳に肉薄したそれではなくても、不当な扱いや差別的な対応、偏見によって社会からはじきだれた人々の、それかもしれない…

こうした世界、国の姿に悲嘆している人々のそれかもしれない…いや…。

そうした地球の大地と空、自然に背く、傲慢な人々に地球が、宇宙の自然が叫ぶ悲鳴かもしれない…

不安や恐怖を危機管理という名にあおり、目には目を、歯には歯を、暴力には暴力をと利権や既得権、いまある自分の平穏だけを見て、物事を単純化して、すべて解決できると考える思考のない人々への空と大地の悲鳴かもしれない…

いまぼくらの世界、地球にはびこる暴力の恐怖は、暴力を当然とする人々によってつくられた恐怖だ。暴力を当然とする限り、人類はその恐怖と恐怖からくる暴力への欲求を止めることはできない。

有史以来、愚かな人類の、愚かな国民に、普遍的な価値を一瞬でも教え、その実現にいのちをかけてきた人が、有名無名にかからず、社会的地位や名声にかかわらず、市井の中にもいた。

いま世界が変わったと人はいう。これまでの考え方では、世界認識、国際理解では無理だと唱える人たちがいる。そのとおり。

だからこそ、ぼくらは、真摯に、もう一度、世界のあり方、国のあり方、地域のあり方を考えなくてはいけない。暴力に、力に、経済に頼るだけの、それがあれば安全も安心もえられない世界の現実を深く知らなくてはいけない。

暴力の背景や要因、動因が複雑になるほど、人は単純、短絡的にそれを容認すればうまくいくと考える。知的水準にかかわらず、そこへなだれ込む。

それほど、単純ならば、世界はとうに平和で、安全な時代を迎えている。それをさせていない力や人の心のあり方は何なのか。

日本国民のひとりとして、戦前戦中戦後、膨大な犠牲をしいてきた、沖縄慰霊の日に考えてみるのも悪くないだろう。沖縄の悲鳴に真摯に耳を傾けてみることだ。
亡くなった兵士だけでなく、沖縄県民の思いを。

あなたに、日本国民としての自覚と先の戦争における本気の反省と、真の愛国心があるなら…。沖縄の人々の悲鳴に、あなたの偏狭な暴力容認で応えられるだろうか?