パイオニアの狂気
世の中を変える力、人でありたいと願うことはいけないことじゃない。
世の中と大仰なことでなくても、自分のなにか、生活のなにか、仕事のなにか、地域のなにかを変えたいといった思いはだれもが抱くものだ。
パイオニア足りたとしても、それが名を残したいといった私欲によるものだとすれば、果たしてパイオニア足るかは疑問だ。
立ち止まっていい時代も、世の中も、社会もありはしない。人も同じだ。この世のあらゆるものが、方丈記の一説、「行く川の流れは絶えずして、また、もとの水にあらず」や平家物語の「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」にあるように、一時としてとどまることはない。
立ち止まっていい時代も、世の中も、社会もありはしない。人も同じだ。この世のあらゆるものが、方丈記の一説、「行く川の流れは絶えずして、また、もとの水にあらず」や平家物語の「祇園精舎の鐘の音、諸行無常の響きあり」にあるように、一時としてとどまることはない。
人も、時代も、世の中も、変わるべくして変わるし、変わり続ける…。その中で、自分を、生活を、社会を、世の中を変えるということはどういうことなのだろう。
ぼくは思うのだけれど、どうもいまの世の中、私利私欲、名声欲、物欲ばかりが大手を振って堂々とひとり歩きし、人としての尊厳や誇り、矜持といったものがすっかり、忘れられている。
ぼくは思うのだけれど、どうもいまの世の中、私利私欲、名声欲、物欲ばかりが大手を振って堂々とひとり歩きし、人としての尊厳や誇り、矜持といったものがすっかり、忘れられている。
世の中を変える力でありたい、人であろうとするのも、世の中や周囲の人たちのためではなく、自分のためであったり…自分の利権や名声を守るためであったり…自分だけの考えを押し通すためであったり…
そのためには、いくらでもウソも、ごまかしもやれるし、人として恥ずかしいことであっても、恥じることはない。
もともと人はウソやごまかし、言い訳、言い逃れをやるし、恥を恥とも思えないことをできてしまう生き物だ。自分を正当化し、そのための理屈やわかったような辻褄合わせもできてしまう。
そのためには、いくらでもウソも、ごまかしもやれるし、人として恥ずかしいことであっても、恥じることはない。
もともと人はウソやごまかし、言い訳、言い逃れをやるし、恥を恥とも思えないことをできてしまう生き物だ。自分を正当化し、そのための理屈やわかったような辻褄合わせもできてしまう。
アメリカではトランプ大統領が、隣国では、ついこの間、朴元大統領が、そしてこの国は安倍総理が…それぞれになにかを変えようとして、だが、そこには、べったりと私利私欲や我田引水のごまかしがあったことが明るみなり始めている。
ロシアや北朝鮮では圧力でそれを踏みつぶしつづけている。どのトップも同じように、自分の時代に、なにかを遺し、パイオニアと呼ばれたがってる虚栄心の塊のような人たちだ。パイオニアになりたい人たちの狂気が世界をダメにしている。
ロシアや北朝鮮では圧力でそれを踏みつぶしつづけている。どのトップも同じように、自分の時代に、なにかを遺し、パイオニアと呼ばれたがってる虚栄心の塊のような人たちだ。パイオニアになりたい人たちの狂気が世界をダメにしている。
せめて、市井を生きるぼくらは、そうしたまがいもののパイオニアだけにはなりたくない。そう思いたい。