秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

不思議の国

国会議事堂に仕事で入ったことのある人は少ないだろう。議事堂内の会議の席で、召集された中央官庁の官僚たちの前で話をした経験のある人も少ないだろう。

なにかの偶然で、そんな席で発言させてもらったことがある。

驚いたのは、ぼくが発言を始めた瞬間、それまでもある程度、メモ、ノートPCに議事の展開を記録していた官僚たちが、なにかのスイッチが入ったように一斉に必死で記録を取り始めた。

NHK福島県、政権、内閣府のいる中、民間の福島県支援団体として、唯一、参加していたこともある。また、彼らにとって、記録にない、新しい登場人物だったこともあるだろう。一言も漏らさないとするそのメモやPCに一気に向かう姿は、異様にさえ感じた。大学受験の試験会場の空気と似ていた。

偏差値の高さというのは、情報処理能力の高さのことだ。工夫や創意も官僚には必要だが、官僚だれもがそれを持ち、出世できるわけではない。最低ライン、必要なのは、その高い情報処理能力で実務を迅速、円滑に果たしていくこと。

それが彼らが官僚となったとき、最初に徹底教育されることだ。そのために彼らはメモ魔になる。同時に、それは、実務上だけでなく、責任問題と常に背中合わせの立場にいる彼らが、自らや自らの組織を守る手段でもあるのだ。

あのとき、こういった、ああいったになる前に、きちんと記録を残さないと、いったいわないは、最終的に現場の実務を担う官僚の責任になる。それを統括している部署、部局の責任になる。

地方行政であれ、国政であれ、一つの政策、施策、事業を進めるときに、いろいろな法的様式に添った文書が必要になる。そればかりか、示唆や恣意的な圧力、無言の威圧が働く。言葉にしてそうである場合もあれば、暗にそうにおわせる場合もある。

そうした空気も含めて、察知し、自分たちに何が望まれていて、どう応えるか、応えられるか、応えられないかを良し悪しは別に調整する。それが官僚の仕事の中心にあるのだ。

その経緯をきちんと取ることは、仕事のためであると同時に、政権や政治家、その威光を借りた利害関係にある人や団体が何か法的にヤバいことになったとき、自分たち官僚の意志ではないということをはっきりさせ、ヤバい世界の片棒を担がされたに過ぎないという責任回避にも役立つ。

国民や政治家が思うほど、この国は国民、政治家によって動いているのではない。

残念ながら、この国の官僚と官僚組織は、政治家がバカでも、国民が愚かでも、一時も国の動きを止めることなく、支障なく、滞りなく、運営できる能力を持っている。

弊害も問題も、もちろんある。だが、そうした彼らが政権に不利な文書を隠蔽することはあっても、捏造したり、書き換えることなどあり得ない。

いま、加計学園問題で文科省の官僚や若いスタッフがスケープゴートにされ、安倍政権を支持するネトウヨから袋叩きに遭って炎上している。

そのつっこみは、じつに幼稚なもので、ゴシップまがいのフェイクによる人物批判や明らかにウソとわかる政権擁護だ。昼の報道番組で、時事通信社の田崎氏が度々、経験やキャリアの低さを口撃の材料にし、政権擁護しているのと変わらない、教養レベルの低いオヤジごまかしの域を出ていない。

小手先の対応、官僚を黙らせてしまえば、国民はそのうち、忘れてうやむやで終わる…そう考えているのだろうが

森友に続き、加計、さらには、国際医療大学の問題も控えて、国民の血税を湯水のように、そこや海外支援に垂れ流していても、国民はまだ、それでいいというのだから…共謀罪も賛成半数といいながら、審議は尽くされてないが7割もいるというのに、強行採決しちゃってもいいのだから…

まともな調査も議論もしない…

この国は、ほんとうに、不思議の国だ。