秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

見失ったこの国の片隅で

日本国憲法を生んだ密室の九日間』を読む。
 
5年ほど前にテレビ朝日のドキュメンタリー番組としてオンエアされた映像作品を文章化したもの。すでに5刷になり、だいぶ前の取材本だ。
 
ある企画の資料として、読む必要があり都合二日ほどで読み終える。日本国憲法の成立については、いまでもいろいろな意見がある。が、しかし。その内容は世界に誇れるものだという事実はいまも変わらないとオレは思っている。
 
国際関係においても、外交においても、国内政治においても、現実的な対応こそが正しいと人は思う。確かに、政策は現実的なものでなくてはならない。だが、現実を変える力は、本当は理想の中にある。
 
理想なき、現実への対処は、歴史が示すように、多くは、過ちや偏った施策へと人を導くからだ。
 
民主党が政権をとったとき、国民がそれに同調したのは、戦後65年の歴史を変える、新の国民主権の社会が登場するかもしれないという期待だった。
 
形骸化した政治のしくみや官僚体制を大きく変え、予算決定のしくみが地方を含め、大きくかわり、国民生活の安全と自由を第一とする政治が誕生するかもしれない。程度の差はあれ、そうした期待が多くの国民にあったと思う。
 
いまの政治の混乱の裏側には、戦後65年の自民党政治、自公連立政権の過ちやツケを民主党が払わされているという事実はある。だが、その現実に理想を掲げて立ち向かい、試練や困難の中でも国民に呼びかけ、国民一人ひとりが大切にされる社会の実現へ向かってくれるものと多くの人が期待していた。
 
それが、検察やマスコミの恣意性に満ちた情報操作や表層的な先導によって、あるいは、それに立ち向かうことのできない政権の脆弱さと腰砕けによって、つまるところは、これまでの自公連立とはそう違わない政権に成り果ててしまった。
 
そこにあるのも、高い理想の欠落だ。政権維持や政党維持のための現実主義、官僚の牙城が簡単には突き崩せないとわかると折衷案や妥協案に翻弄され、簡単に考え方や方針を転換する。
 
いまの衆参の議員数では、過半数がとれないという議決議席の不足がその脆弱さの大きな要因であり、それも国民の意志の反映だから、ただ政治家や政権ばかりを批判すればすむことではない。
 
しかし、その結果、理想論を求めるよりも、実利的に有為な政策実行が必要だという現実主義が政治の世界、そして、国民意識の中に広がり続けている。
 
理想を掲げない国、世界へメッセージを発しえない政治、そして、情報に翻弄され、自らの国のあり方を揺るがしている国民の姿は、果たして世界から尊敬される国であるだろうか。
 
日本国憲法には、戦争という悲惨の中でも、自立し、矜持を持とうとする日本人への熱い期待、そして、あのときの日本人自身の願いが強く込められている。
 
戦後復興と世界も驚く経済発展の原動力は、そこにあったのではないか。原理原則、原点を見失った、この国の片隅で、そこに目覚める時代はいつくるのかと夢想が続く。