秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

海に向かって


ぼくの記憶の海は、高校生のとき毎年夏、演劇部のOB、先輩、同輩や後輩たちといった志賀島勝馬海岸だ。築港埠頭から連絡船で博多湾を抜け20分、そこからバスで10分。バスセンターからの直行バスで50分程度だった。

玄海灘にある勝馬海岸は、外海だから、やさしい海ではない。だけど、夏は比較的穏やかで、暑い焼けた白砂の感触と深く蒼い海を思いっきり肌で感じることができた。

東京にきて、初めて江ノ島にいったとき、湘南の海をみて、愕然とした。憧れていた湘南の海岸は、関東ローム層の黒い海岸だったからだ。ぼくは、それまで白砂の海岸しか見たことがなかった。

いまでは、油壷、逗子、江ノ島、茅ケ崎とプレジャーボートで駆け巡る馴染みの海だけど、それまでは、海といったら、伊豆まで足を延ばしていた。透明度は湘南以上だったし、そこには白砂の海岸があった。

ぼくが初めて、薄磯の海と出会ったとき、そこに、ぼくが探している海があった。まったくの白砂ではないけれど、波や砂、周囲の景観の感触は、勝馬の海のそれに似ていた。

けれど、海辺から沿岸に目をやれば、そこには悲惨な光景と無残な景色が広がっていた。灯台があることで、そのせつなさは一層深く感じられた。

薄磯の海とあの風景は、それからぼくの人生を大きく変えた。あの出会いがなければ、6年の間に出会った多くの福島の人たちとの巡り合いも、その喜びもなかった。

湘南が神奈川、東京の人たちの海であるように、薄磯はいわき、福島の人たちの海だった。そして、いつからか、ぼくの海になっていた。

今年、ぼくは、その海を薄磯の人たちと浜通りの仲間たちと取り返しにいくと決めた。だけど、それをするためには、たくさんの人の助けと思いを形にするための応援が必要だった。

この2年、福島県の支援やサポートを受けて、県庁のみなさんといろいろな取組ができ、ぼくらの実績にもなってきた。そして、そのサポートを今年も別の形で受けられる知らせが届いた。

ぼくの思いをぶつけて、それを受け止めていただいている県や市町村行政のみなさん。ぼくに反論異論はあっても支えてくれているMOVEの仲間。そのMOVEを応援してくれている仲間たち…fbのつながりだけで声援をくれる人たち…。

その力を今年も形にできる。そのすべてに心から感謝しながら、ぼくは、また今年も、これまで以上に走り出す。白く暑い砂の感触と深い思いが漂う海に向かって。