秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

いままた、広がっていくヘンな近代

明治期の文学界の動向というのは、日本近代を知る大きな手掛かりのひとつだ…

大学1年で履修した教養科目「文学」の最初の講義で、教授がそう語ったのをぼくはよく覚えている。

中高の国語や社会の授業で、多くの人が学んでいるのだが、日本近代文学の始まり、言文一致と聞いて、二葉亭四迷というふざけた名前の作家を思い出す人は少ないかもしれない。

ふざけたといったが、実際、洒落でつけた筆名なのだ。くたばってぇしめぇを二葉亭四迷に書き換えた。師匠は、ぼくも尊敬する坪内逍遥。師匠というより、二葉亭四迷を世に送り出すために、当初、自分の筆名を無名の二葉亭に貸したのだ。

逍遥には、二葉亭の言文一致は頭で理解できても、具現化はできなかった。

逍遥訳のシェークスピアはすばらしいけど、歌舞伎の七五調を抜け出せていない。だが、それが逆に、現代語では表現できないシェークスピア戯曲のリズムを原文に近い形に翻訳し、日本語で音楽化できているのだが…。

二葉亭四迷は「浮雲」という小説を書いて、長く筆を折った。理由は、文学は男子一生の仕事にあらずと見切ったからだといわれているが…。

ほんとの理由は、ロシア自然主義文学を学んでいた二葉亭には、自分が拓いた近代文学私小説となり、やがて、行き詰ってしまう限界をわかっていたからだろう。

その限界の先に、明日への希望や期待、いまを懸命に生きることの美しさを説諭するような啓蒙主義文学、志賀直哉武者小路実篤白樺派が登場し、この国の文学の主流となることも。

鴎外や漱石は、そのいずれにも組せず、孤高の文学を確立した。
だが、私小説に否定的であったが、現実を捉えようとした自然主義には同情的でもあった。

二人には、社会の理不尽さや矛盾は、心のあり様でいかにも変えられるとする白樺派や浪漫派といわれる文学集団「パンの会」が、軍国主義、富国強兵、海外侵略に同調する現状肯定型の文学となることがわかっていた節がある。

漱石の最後の弟子でもある芥川は、これを乗り越えようと芸術至上主義文学を目指すが、その相克で苦しみ自殺した。太宰は、白樺派のきれいごとに無頼派として真向から挑み、反戦を唱えるが、議論で敗北する。

そして、戦後、あっという間にアメリカに乗り換えた、この国の主義主張のなさ、道義のなさ、くだらなさ、さらには、それを追及する力のない、破たんした自分に絶望して自殺した。

大雑把過ぎる流れだが、これが、ぼくらがずっと、社会にある矛盾としっかり向き合う力を持ち続けることができなかった近代という姿だ。

社会を否定の一辺倒で捉える視点は、ぼくも好きではない。そのままの自分を描く私小説も好きじゃない。

だが、問題を問題としてみつめ、考え、議論し、解決を探るための挑戦は、誠実に希求すべきだと考えている。誠実かそうではないか、自分をみつめる眼も必要だと思う。

その誠実さとは、白樺派がいうような、誠実に生きていれば、うまくいくといった現状肯定のための誠実さではない。誠実さの集まりをつくり、それでよしとするものでみない。問題に向き合おうとする誠実さだ。素通りしない誠実さだ。

あれは終わったことだから、もうはじめたことだから、やっちゃったことだから…

そう容認し、肯定することで、自分を含め、そこにいた社会、時代、世界のすべてを肯定することがよきこととするのは、誠実さとはいわない。

ぼくらは、まだ、誠実に、近代を果たしていないし、この国の近代に向き合ってもいない。だから、また、白樺派的なものが、いまこの国に広がっていく…