秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

海を取り返す

ぼくは、今年、海を取り返しに行こうと思っている…

海を取り返す。それは記憶の海を取り返すことだ。当然、その記憶は歪曲され、変質し、創作されたものだ。人の記憶は、身勝手な脳が作り出す、辻褄合わせの仮想に過ぎないのだから。

だが、それを承知で、あの海を取り返そうと思っている。それは、じつは、どこにもない、どこにもなかった海かもしれない。いや。きっとそうだろう。

けれど、そうに違いなくても、それを目指して海を取り返す…そう覚悟する力や思いがぼくらには必要だと、この6年、ずっと思い続けていた。

記憶が遮断する前、津波が押し寄せる前の海がぼくらに与えてくれていたもの。原子力放射能が身近な危機として理解されていなかった頃。

それは、いつでもいける海だ。ためらいなく、飛び込むことができる海だ。海が与えてくれる、すべてのものを疑うことのなかった海だ。

それは福島の海だけのことでなく、この国のすべての海がそうだった。

海外のかなりの人々が、自然環境保護を唱える中の一部の偏狭な人が、この国の海はどこであれ、いつでも、どこでも、飛び込むことができる海ではなくなっているのではないか…そう、いまだ疑っている。

確かに、安全と安心は違う。だからこそ、一層、海を取り返そうという力がぼくらには必要なことなのだ。

明確に、海をダメにするものと決別すること。海という自然を守り、育てることのできない地域や国としてのスタイルを変えること。海からの恩恵を金銭だけに換算するような傲慢さを次世代に引き継がないこと。

いまさえ豊かであればと、地域再生という美名を借りた、危険の押し付けに、札束でなびかないこと。自ら地域をつくるための険しい道をあきらめないこと。

海を守るには、山林や里山の自然がいかに関連し、つながっているかを芸能によって継承する、地域文化を失わないこと。

都会的なものをまがいもののように猿まねせず、迎合せず、無骨でも粗削りでも、そこにあるかけがえのない海がもたらす、文化に誇りを持つこと。

海を取り戻す…。そこには大変な険しい道なき道が広がっているはずだ。だからこそ、記憶という誤謬を承知で、幻想の海を取り戻さなければ、ぼくらの後に道はない。

そう。それは新たにつくる、ぼくらみんなの海でなくては意味がない。でなければ、海にも、多くの人にも愛されることはない。ぼくにすれば、映画にならない。

海は、そこにいる人たちだけのものではない。この国、この地球、そこに生きる人類すべての人々のものだ。傲慢であってはならない。手前勝手ではならない。わがもの顔をしてはならない。

いわきの薄磯海岸は今年。相馬の原釜尾浜海水浴場は来年。帰ってくる…。