秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ポケモンGOときみたち

ぼくらが毎日暮らす中には、些細で、取るに足りない決め事や約束事がたくさんある。

些細で、取るに足りないことだけれど、それがなくなってしまうと、些細であるがゆえに、かすかなほころびのようにしか思えなかったものが、ひとり自分のことばかりか、人との関係、地域や社会、国、あるいは世界の決め事や約束事にまで影響してくる。

小さな、取るに足りないと思っていたひびが、やがて大きな亀裂となり、やがて、建物を崩壊させるように。

じつは、ぼくらはよくわかっている。

ぼくらの毎日がかつてのように、取るに足りない決め事や約束事を守れなくなっていることを…。取るに足りない決め事や約束事が反故にされ、当てにならないものになっていることを…。決め事や約束事を生きようとしても、そんなゆとりなんかない現実があることも…。

どうしてそうなったのか。それをよくわかってない人たちは、つまらない道徳心をつらつら語り、だれが決めた正義だかわからない正義を持ち出し、だれかをパッシングすることで、つかの間、その現実から逃げていく。

日常がどうしようもなく、当てにならず、じつは、いま個人も、地域も、社会も、国も、世界も、現実の日常では、まかないきれなくなっているんだ。

実際、ぼくらは、リアルな空間のリアルな時間、リアルな人とのつながりを生活においても、暮らしにおいても、経済でも、政治でも、それではないものでまかなっている。

仕事以外の、生活地域以外の、家庭以外の、学校の友人以外の、会社の人間以外の、趣味の仲間以外のなにかやネットの中の別の時空を使って、当てにならない日常を補完している。

なのに、それがわからない年寄りたちは、自分たちが壊している日常を振り向きもしないで、つまならい道徳心を厚化粧したおばさんが金切声でつらつら語り、
日常を支えきれてないおじさんたちが何かの力や組織、肩書を借りて、不勉強な自分を不勉強とも思わず、わかったようなセリフをまくしたてている。

ポケモンGOに大人たちはありきたりのことしかいえない。日常が当てにならないと直感してる若い奴らは、それ、おかしくねぇと思えない。

IOCのおかしさも、うやむやにされた東京オリンピック誘致の不正疑惑も、厚化粧した都知事選候補者のおかしさも、それを許す脇の甘い候補者も、しゃきっとしない政党も、政治バランスのおかしさも、マスコミ報道のおかしさも…。

疑惑、不正があっても、壊れた日常の中では、まともに議論さえされない。壊れた日常はとても無力だ。

たぶん、国民も、世界のだれもが壊れているからだろうな。決め事や約束事が成立しない。その代りに、私の決めた、決め事、約束事だけが広がっいく。だけど、それは、他人の決め事、約束事は無視するか、ふみつぶすからね。

だから、できるだけ、少しでも、自分ではなく、みんなが共有できる日常の決め事や約束事は何だったのか、考えた方がいい。だから、ぼくはいましかみえてない、いまやらなきゃいけないことじゃくて、これからのためのいまをやっているんだよ。

それ、ムリな大人じゃなくて、いましかみえてない連中じゃなくて、これからをつくる子どもや大人になりかけてるきみたちのことをね。