秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

あのとき

ぼくには、忘れられない出会いの瞬間の記憶がある…。

きみにもいったことがあるけど、ぼくは、ほぼ正確に過去の記憶を画像で振り返ることができる。一枚の写真、数十秒の動画でね。だから、忘れられない記憶はたぶん、普通の人よりかなり鮮明だと思う。

ぼくの記憶は文章や数字、文脈や状況ではなく、前後関係のない、そのときの画なんだ。

だけど、それが鮮明なのは、あとで振り返ることができる大きな時間だったからなんだよ。脳のフィルムに鮮明に焼き付けるほどにね。

その瞬間、そのときには、それが後に、自分の人生や生き方と深くかかわるそれだと気づけない。

人であれば、それが後に、恋の始まりだったり、別れの始まりだったり、心許せる友や仲間との出会いだったりする。それが出来事であれば、後の人生の大きな岐路となることがある。

ぼくらは、だけど、そのときを生きるのが精いっぱいで、大きな自分の人生の分岐点だということをそのとき素通りする。

そして、その時間が、「そのとき」でなく、いつか「あのとき」になったとき、人は、何気ない出会いや予想しなかった出来事が、いまの自分の始まりだったことに気づくんだ。

ぼくらには、だれでも、その、たくさんの「あのとき」がある。戻れない、あのとき…。取り返せない、あのとき…。
ぼくらは、あのときに悔んだり、悲しんだり、感謝したりしながら生きている。

だからときには、あのときの重さや深さから逃れるために、あのときを勝手に書き換えることだってしちゃう。都合のいいようにね。そして、それが「あのとき」となることに気づきもしないで、いま、そのときを素通りしながら、生きているんだ。

あのときを正確に振り返るより、忙しいふりをして、いまのそのときを素通りすることの方が本当は楽なのかもしれないね。だから、ぼくらは、あのときをいい加減に扱ってしまうんだ。

オバマ大統領の広島訪問は広島、長崎、そして、日本人にとって歴史的な出来事だった。だけど、未来志向という言葉は、日本人のあのとき、アメリカ人のあのとき、それらを互いにうやむやにする、いま、そのとき志向にしか、ぼくには思えなかったんだ。

あのときをきちんと振り返らない限り、本当の意味での未来志向はないとぼくは思うからね。安倍首相は、要は、日米の強力な同盟ばかりを語り、オバマ大統領は、核の悲惨と放棄を語る。そして、二人とも平和外交を語る。しかも、広島・長崎市民、国民が広く参加できたセレモニーでもない。利害関係が一致した日米政府のセレモニーでしかなったんだよ。

だが、その尖端に沖縄がある。日米安保がある。それをもとにした安保関連法がある。抑止という名において、アメリカは戦後も70年戦争を続行している。日本はそれにより同伴しようとしている。

ぼくらは、いつになったら、あのときをきちんと受け止めるのだろう。