秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

手紙

きみは最近、手紙を書いたことがあるかい?

SNSやメールがあるおかげで、ぼくらは、多くの用件を片づけるのに、直接会ったり、手紙を書く手間や時間をつくらなくてよくなった。ぼくらの仕事や生活は物凄い時短になったのさ。

それは、かつて、三種の神器といわれた、冷蔵庫や洗濯機、テレビが登場したとき以上の時短を生んでいる。ただ、三種の神器とSNSやメールの登場とが決定的に違うことがある。わかるかい?

そう。三種の神器は、女性の家事労働からの解放で、それは、女性が社会とコミットする時間をたくさんつくってくれたのさ。つまり、手紙を書く時間、おしゃべりする時間、なにか、仕事や趣味といった人の集りに参加する時間を家事労働の時短の向こうにつくってくれた。

テレビだって、あらかじめ情報の共有をつくってくれるようになったたおかげで、女性ばかりか男性も、子どもも、社会とコミットするためのスタートラインを同じにすることができるようになったんだよ。

つまり、情報を共有するための時間を省いてくれた。ひとつの時短なんだ。互いが自明のこととして、ある会話をスタートできるからね。

ところが、SNSやメールっていうのは、そうした人とのコミュニケーションの時間そのものを時短した。直接会って、表情を見ながら会話する時間。会えないから、手紙を書く時間。言葉を使い、言葉を学び、言葉を鍛錬する時間まで時短したのさ。

昨年の暮れ近く、ぼくは、教育作品で、「未来 SNSの罠」っていうショートフィルムをつくったのだれど、その中で、高校生の男の子がこんなことをいったんだ。

「文字だけでは伝えられないことがあるんじゃないかな。ぼくらのように言葉が十分じゃないと、SNSやメールの言葉がいろいろに誤解されやすい。だから、なにか行き違いが生まれそうなときは、直接会って顔を見ながら伝えるってことも大事だと思う」

短いセンテンスしか書けない。書かない。そこには、その言葉が生まれる心の動きが文字で表せない。表すこともできるけど、それには、言葉の力がいるんだ。

その言葉の力をつくるのは、本をたくさん読むことだし、手紙を書く、日記をつけるといった文章を書くことじゃないかとぼくは思う。

映画やドラマを観るのもいいけど、そこで心に残った言葉を実際に自分の文章に使うってことも大事だと思うよ。講演を聴いて、そこで感銘を受けた論理や言葉を自分で文章や言葉で使ってみるというのも同じさ。

ぼくらはいつからか、長い手紙を書かくなくなった。書かなくても用件が足せるから…。だけど、ほんとは、なにひとつ、大事な用件を足してはいないのかもしれない。

いま、仕事に追われながら、改めて、ある人たちに手紙を書いているんだけど、手紙を書くっていのうのは、相手の顔や姿、自分とのつながりをもう一度確かめることでもあるんだと強く感じている。

うまくいかない世の中のどこかに、うまくいかない政治のどこかに、うまくいかないぼくらの暮らしのどこかに、手紙を書くときのそんなことが失われているからなんじゃないだろうか…