秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

負と正と×0

ぼくらはいつからか、負の要因や負の情報、負の意見といった、マイナスイメージをとても嫌うようになった。

ぼくは、この数年そう感じてる。とくに震災後、それが強くなっているように思う。

負の反対語は、正。なんだか、それだけ見ると、負はまずい感じがして、正は、まさに正しい感じで、なんとなく、負より正がいいに決まってるじゃないか…そんな気分になる。

だけど、これを数学的に考えるとおもしろいことがわかる。

負は、マイナス。正はプラス。その意味は、負は、ゼロより小さい実数で、正はゼロより大きい実数ということになる。

つまり、負は単にゼロより小さいだけのことで、正はゼロよりは大きいというだけのことさ。真ん中のゼロを基準にしたら、実数が小さくなる、大きくなるの違いに過ぎない。

そして、人は、ゼロはいやだ。だから、大きい実数でいたいと思うのかもしれない。つまり、正の方がいいってね。だけど、大きい実数になったからって、何かの要因や問題、障害に出会って、×0に出会うと、またゼロに戻る。

逆に、もし、なにかの事情で負の側にいて、ぼくらが、仮に-10だったとしても、そこにさらなる試練とも思える、×0が現れると、あらなんと、これもゼロに戻る。

0に対して、正はそれほど無力で、負は正さえ望まなければ、ゼロに戻れる。

ずっと負を嫌ってきたぼくらの時代、いつからか、ぼくらは、ゼロはいやだから、もっとよくなりたいと実数を嵩上げすることばかりに夢中になってきてはいなかっただろうか。

逆に、何かの事情で負だと思う、どこかのマイナスの実数にいることで自分で自分を苛んだり、貶めていたんじゃないだろうか…

それが大事なゼロをいま、ぼくらに忘れさせているような気がする。

ゼロは決して無力でも、無意味でも、何もないことじゃない。一度、ゼロに戻る。ゼロから考える。それは、負のスパイラルからも、正の危うさからも自分や世界を守るために大事なことなんじゃないかとぼくは思っている。

国民世論が多様になり、自らの選択が面倒な時代。往々にして、人は、とにかくプラス志向でいこうぜっ!みたいな単純明快な選択肢を欲しがる。

これに政治も答えようと、選挙も意識して、すべてはうまくいっている、すべてはうまくを連呼し始める。

自分たちの負の検証もできていないのに、負であることをだだ嫌うだけで、どこに負の要因があるのかをち密に分析もし、向き合わないで、どうして、そんなことができるのだろう。

みんなが正がいいからと、負にあるもの、負を抱えている自分たち自身を振り返らなかったら、その先にある、まがいものの正は、すぐに×0と遭遇する。

まずは、ゼロから考え直す。それができない、地域、社会、国、世界のあり方は、もう持たなくなっていることをほんとはわかったるはずさ。それなのに、現実をプラスイメージだけで覆い隠そうとするのは、もうやめたらどうなんだろう。

みんながゼロから考え直し、ゼロの意味を深く考えれば、進みたい、正の世界ももっと違うはずだとぼくは思っている。