秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

国民の安心、安全

ぼくは10代後半で福岡を後にしている。また、父親の仕事の都合で県内を転々とした。それに、福岡生まれの福岡育ちだけど、じつは、元々は佐賀の血を引いている。

だから、先祖代々のお墓のある場所、生まれてからずっと暮らした地域、いわゆるふるさとを持たない、デラシネなんだって話を、以前、きみにしたことがあったよね。

じつは、九州のほかの場所にいったのは、小中学の修学旅行以外、福岡に暮らしていた頃ではなく、東京で暮らすようになって、仕事でいったのがほとんどなのさ。

これも、前にきみにいったかもしれないけれど、ぼくは観光やリゾートってことができない人間なんでね。国内も海外も仕事でもないと行く機会を持とうとしないからさ。

小中の修学旅行は強制だから、山口の秋吉台鍾乳洞、大分の中津(福沢諭吉先生生家)、別府の地獄めぐりと猿山、霧島高原、宮崎のリアス式海岸、鹿児島の指宿と長崎鼻はいったけど、10代後半で郷里を出るまでにいった県外の場所で、いまでも鮮烈に記憶に残る場所は、じつは熊本なのさ。

高校時代、演劇部の先輩のちゃちい90CCのバイクの後ろに乗って、先輩たちと阿蘇山を目指した。90CCだからくたくたで、疲労困憊でやっとたどりついのが、夕日に染まった阿蘇の外輪山の風景だった。翌朝、草千里といわる、それまで見たこともない牛と緑の風景にも圧倒された。

ほんとうに、この世のものとは思えないほど、美しい風景だったのを覚えている。

その草千里近くのキャンプ場にテントを張って、一泊して、熊本城と水前寺公園を見て、帰ったのだけれど、ぼくらがテントを張った外輪山の南になるのが南阿蘇村。熊本に通じるのが阿蘇市

そう。本震といまも激しい余震が続いてる場所なんだ。じつは、FBで知り合い、福岡在住の方が、自然有機農業の基地をこの南阿蘇村でやっていて、ちょっと気がかりなのさ。

佐賀からも、福岡からも、九州からも、いまでは遠く離れていて、かつデラシネのぼくには、いわゆる愛郷心とか、郷土愛とかいったものがほとんどない。それでも、熊本の知り合いのほかに、福岡、佐賀、鹿児島に親戚や縁故のある人たちがいる。

ぼくは、福島にかかわって、浜通りの海の美しさや中通り会津の山の美しさも知った。その自然の恵みの中で、海や土と生きる人たちともたくさん出会った。

だから、思うのだけれど、福島が原発事故で失った自然と生活を決して繰り返してはいけないと考えている。それは福島が美しいように、阿蘇が美しいように、この国の地域、地方にある美しさとそこに生きる人の生活を傷つけては、ならないと思っているからなんだよ。

原爆が一瞬にして、すべを奪うように、原発はなにかあれば、一瞬にして、そこに生きる人たちの生活すべてを奪う。その回復には次の時代へまで、負の遺産と付けを遺していかなくちゃいけない。

そんなあやうさに、あの阿蘇の風景を、あの人たちをさらしてはいけない。失った家屋、壊れた道路…それはそれは悲しいことだれど、それらは再建することはできる。

だけど、福島のように、再建できない場所、地域をつくってはいけない。人々が積み上げてきた生活と歴史を奪ってはいけない。福島を知るからこそ、福島を思うからこそ、他の地域のそれらを守る道を探さなくてはいけないと、ぼくは思っている。

これだけの大きな地震が立て続けにおき、これまでにない頻度と大きさの余震が、活断層を這うように起きているのに、川内原発の停止を考えない人たちがいる。

安保法制のようにいますぐ存続の危機にあるものではないものに、膨大な税金をつかって、かつ強行採決し、これが国民の安心、安全のためと連呼する人たちは、前例のない地震が頻発し、南西にある日奈久活断層にまで影響が出いるのに、川内原発は大丈夫だという。

この人たちの国民の安全、安心とはなんだろう。この人たちの危機管理とはいったい何なのだろう。原発を止めたら、震災で反対派が勢いづいて、再々稼働が手間取るからなのか、電力会社や原発村の企業におもねているからなのだろうか。

だとしたら、この人たちのいう国民の安心、安全は全部、口先だけのものだということだ。