秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

現代サーカス

NHKプレミアで『世界で一番美しい瞬間(とき)』というドキュメンタリーがシリーズで放映されている。

じつは、ひそかなファンだ。その中で、いまフランスで注目を集めている現代サーカスをとりあげていた。サーカスといっても、馬やライオン、象といった動物の曲芸や綱渡りを主体としたものではない。

また、シルクドソレーユのようなオリンピック選手並みの特質した身体訓練と技能を磨いた身体集団によるスペクタクルでもない。

現代舞踏にサーカス的要素をいれ、演劇性に力点を置いている。動物も使うが、いわゆる調教の鍛錬の高さを見せるものではなく、人間と対等の演者という位置づけだ。しかも、きちんとした役を与えられている。

登場する演者の身体もスポーツ選手のように切り詰められたものではない。それゆえに、観客を訓練して、演者として登場させることもできる。公演のためにテントを貼る地域の住民から募集し、出演させるのだ。それによって、表現と観客との距離を詰めることができる。

身体を使い、自己表現するだけではない。純然たる舞踏ではないので、声も発するし、自ら楽器も使い、共演者として動物も登場する。サーカスほど大仰ではないが、器具をつかってもやる。

しかも、伝えたい意志をきちんとしたスクリプトとして集合している。つまり、ドラマツルギーを持っている。

表現形式、表象としては、じつに前衛的だ。だが、特別に現代舞踏や現代演劇を学んだことのない、ごく普通の毎日を送る町の人々は、そこに共感し、見終わった後、感動してスタンディングオベーションを惜しまない。

放送に登場した、注目を集めるサーカス集団は紛争からフランスに逃れ、移民となったケニアの青年を登場させていた。フランス、EUがかかえる移民問題のひとりでもある。だが、政治的なメッセージはない。

そこには、自分はここいるという彼の心のこ声を、誰もが抱く承認の欲求と結びつけていた。シリア難民やイスラム圏の人間への排他主義が広がるいま、直截な言葉ではない、その声は、普遍的な多様性の承認へと広がりを示す。

こうした現代サーカスがフランスを中心にヨーロッパで広がっている。

昨日、母校、演劇博物館主催、アンスティチュ・フランセ後援による、日仏ダンス会議『思考と身体のパ・ド・ドゥ』を観てきた。講演というよりも、実際の実現を含めた具体的な理論の紹介と実演だ。

劇場、美術館などアート施設の中での現代舞踏と空間での舞踏。その比較研究と現代舞踏におけるイメージの複合と異化が生む効果の解説…というと難しいが、現代サーカスと同じく、身体のみではない、場の空間や展示されている美術、調度物、音楽を重ねがらイメージを膨らせることで、新しい表現にたどり着こうとしている取り組みの紹介。

つまり、現代サーカスの基本にあるもののと同じだ。もしかしたら、いま世界のアートは、かつて、自己証明、実存といったものを「承認」というキーワードで再解釈しようとしているのかもしれない。

現代サーカスが示すように、前衛的表現でも、その1点においては、観客の質や色彩は関係ない。

よく前衛は、庶民にわからないという人がいる。だから、わかりやすく、庶民に合わせなくいけないと考える。あるいは、庶民、大衆を無視し、鑑識眼もたいしてない成金やエセ芸術志向の人たちへ向けて、いわゆるエセパトロンだけを相手に表現を考える人がいる。

描くものにもよるが、わかりやすくする、庶民に合わせるという視点は不遜だ。表現者の怠慢と自信のなさだ。これほど庶民、大衆に無礼で失礼なことはない。

わかりやすくよりも、感じられやすくする。庶民に合わせるのではなく、庶民の抱えている現実を知り、それを表現の糧とすることだ。そして、作家自身の内実にこだわる。それが結果的には、表現形式の問題を越えて、共感と感動へとつながっていく。

いま少し、自分を追い込もうとしている。それには、いい刺激になった現代舞踏。