秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

次を目指す

現代音楽を映画音楽として使うようになったのは、ヌーベルヴァーグ(1950年代の即興的演出を主体とした若手映画作家たちの作品群)あたりからだ。

日本でも、同時期、黒澤明監督、勅使河原監督、市川昆監督、大島渚監督などが現代音楽を使っている。現代音楽で映画やテレビ作品を多くつくった武満徹はその象徴的な作曲家のひとりだ。

人間の心の深層や葛藤、内面にある情動やエロス…それを心象風景として描くとき、現代音楽や前衛音楽というのは効果がある。

最近の全国公開の邦画はシネコン上映のため、そうした現代音楽や前衛音楽を使うような映画は鳴りを潜めている。よほど質が高く、海外の映画賞などを受賞しないと、難関な作品やR指定の深い作品は敬遠されてしまうのだ。

昨夜、美術家の女性に誘われて、新川の小さなライブハウスで久しぶりに現代舞踏を観にいってきた。

私たちの世代で、若い頃からなにがしか表現活動にかかわってきた人なら、土方撰、田中泯といった現代舞踏家や大駱駝艦などの舞踏集団は知っている。1960年代後半から80年代。世界中で、現代舞踏、前衛舞踏が大きなムーブメントとしてあった。

いまでもそうした舞踏を続けている人たちがいることを改めて知らされたのだが、いってみると、男性舞踏家と現代音楽と舞踏を癒合させた女性パフォーマーの二人の共演公演だった。

この女性パフォーマー、ヒグチケイコが繰り出す声とピアノ、電子楽器、ドラムの音が素晴らしかった。ひとりであれだけの音を繰り出せる基礎的な力の確かさもさることながら、そのセンスに圧倒された。

新川の昭和の古いビルの狭い地下室で、こんな才能と出会えるとはまったく予想もしておらず、彼女が繰り出す音に誘われて、私はいつか、書きかけの小説や構想中の映画や舞台の断片的な映像が次々に脳裏を駆け巡るのを止められなかった。

次を目指す。次をつくるために模索し、葛藤し続ける。孤立を恐れず、聴衆や観客に迎合せず、次をつくる。結果はどうあれ、少なくとも私のような制作者は心動かされた。