秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ちらばった米粒

門松がとれる7日。七草粥など、もう何十年も食べたことがないw

とういうより、私が育った家は七草粥を好まない家庭だった。固くなった鏡餅を砕いて、油で揚げ、おかきにして食べることはあっても、たまに七草粥を食べるのは、母か姉くらいだったと思う。

鏡餅ばかりでなく、正月や盆、節句など、神前や仏前に備えた、お供物をいただくのは、縁起がよいとされ、自分の家のものだけでなく、神社仏閣など宗教施設にお参りすると、そのおすそ分けに預かる。

今年も寒川神社など、いくつかの場所で、お米をいただいた。せっかくいただいたので、わずかだが買い置きの米の袋に一緒にしようとしたら、しくじった。バラバラとフローリングの床に少し散らばしてしまったのだ。

それほどの量ではないので、若い頃の私、少し前の私なら、おそらく、「ああー」といって、仕方ないと掃除機をかけていただろう。

しかし、今回は、一粒ずつ拾って袋に戻した。戻しながら、ふと思い出した。幼い頃、何度か同じようなことがあったのだ。

私が子どもの頃は、食がいまほど豊かではなかったのもある。親世代が戦前戦後の物が満足に食べられない時代を生きた人間だったこともある。

「拾ったら、床のゴミまで一緒になるよ。汚なかよ」。そういう私と姉に、親父は、冗談っぽく、「どうせ洗うっちゃけん、大丈夫たい!」。笑顔でそういっていた。

お嬢さん育ちの母は、抵抗があったはずなのだが、死の病といわれた、結核性肋膜炎で父が死の境にいたとき苦労した経験もあったのだろう。薄く笑いながら、私たち子どもと一緒に落ちた米を一粒一粒拾ってくれた。

米はお百姓さんが八十八もの手間をかけてつくってくださっているんだ。無駄にしてはバチが当たる。物心つく頃から幾度となく親に言われてきた。だが、豊かさ、豊穣さ、贅沢を知った私たちは、言葉ではそういえても、親たちのように深い実感を持ってそう思うことはなかったのではないだろうか…。

つい数年前まで、掃除機をかけていた私が、こうやって床に手をつき、膝を曲げ、目を凝らして、一粒一粒、米を拾えるのは、ほかでもない。福島とかかわりあって出会った、たくさんの生産者の顔が浮かぶからだ。

原発災害による過酷な生産状況、販売実状の中で、それぞれに創意をこらし、安全にこだわり、土を捨てず、土地を守り、家業を続けようとする人たちをじかに知ったからだ。農業だけでなく、漁業、林業、加工業の多くの人たちと出会った。

自然からいただくものは、すべて人間の力だけで授かるものではない。それを深く知る人たちは、神前仏前にお供物をささげながら、自然の見えない力のおすそ分けをいただき、それをまた、私たちはいただいている。

それが見えなかった、それまでの私の作品は、評価をえたものはあったとしても、きっと真の意味で、芸術というものからはじかれていたのではないかと思う。

これからの本当の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ
きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない
それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさやうなら
  ……雲からも風からも
    透明な力が
    そのこどもに
    うつれ……

春と修羅 「あすこの田はねぇ」』宮澤賢治