秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

本当の力

夜のとばりが降り、町がにぎわいだイルミネーションを寂しく点滅させる頃。
 
それまで日々の忙しさや慌ただしさに紛れていた、いろいろな思いが心を重くすることもある。
 
どんなに幸せな出来事やうれしい出来事があったとしても、心のどこかになにかがしかの思いを封じ込めている人は、決して少なくない。
 
とくに、年度末を迎えるこの時期には、仕事のことはもちろん、生活の転換の予感、異動や転勤、退職、進学、就職、あるいは、そのラインに乗れなかったゆえの次への不安など、悲喜こもごもとした思いが夜の家の灯りひとつひとつを巡っている。

人との別れや出会いが生まれるのも多くはこの時期だ。そして、いままで同じように続いていた、生活の何かが変わり、そこにまた、ひとつ、夜のとばりが来る度に、人の心に蘇る、痛い記憶やさびしい記憶ができていく。

そうやって積み上げられていく私たちの時間…。
 
そう考えると、自分のやってきたこと、やっていること、やろうとしていることに、どれほどの意味があるのだろう…そう冷めてしまうときもあるだろう。
 
これを変えていかなくては…そう奮闘している自分がひ弱で、微力で、ときには無力な存在でしかないと虚しくなるときもあるかもしれない。

これを伝えなくては…そう確信している思いが、じつは世界になにひとつ影響のない、小さな芥子粒ほどのものでしかない。そう痛感するときもあると思う。

だが、冷めてしまおうが、虚しくなろうが、芥子粒ほどのものでしかなかろうが、その現実や思いと自分が向き合うことは、きっと人になにかを伝え、人となにかを生み出していくために、避けて通れない道なのだろう。

それでも、いや、前へ歩こう。そう決意する力だけが、人を前へ歩かせる。そう決意させる人の笑顔や感謝の言葉が足を動かさせる。

そのようにして、自らと、家族と、地域と、社会と、国と、世界と向き合わなければ、いまある世界を築き上げてきた人類の叡智や失敗や成功を生かすことはできない。

この国が、世界がいま歩こうとしている道は、そうした叡智を生かす道ではない。

かつて、NHKに「未知への遺産」という番組があった。尊敬する吉田直哉氏がチーフプロデューサーをやっていたシリーズだ。後に、「シルクロード」として復活した。
 
未知への遺産とは、私たちがいま使うガラスのコップ、紅茶の陶器、衣類…ごく当たり前のいまの日常が、遠く古代、中世まで遡ることのできる遺産としてあるということだ。
 
遠い過去の人々がその時代に意匠をこらし、生み出したものが、未知の未来への遺産として、私たちの生活の中にある。
 
「既知から未知を探れ」。すでに私たちが当然のこととしてふれいている日常の既知の中に、それを学ぶ、知ることで見えてくる、次の時代、未知の未来への答えがある…

吉田氏から直接伺った「未知への遺産」は、その願いと思いが込められていた。

いまある日常、いまある私たちの地域、社会、国、世界…そこにある当然として済ませているものをもう一度、しっかり検証し直して、時代をさかのぼってみよう。
 
そうすれば、冷めて、虚しくなり、芥子粒のような人々の営みがいまをつくっていることに出会うことができるかもしれない。

世の中を変えていく、本当の力は、そこにあるのだ。