わたしの悲しみよ、酒になれ
漁業がどのような放射線検査をしているか…それを知り、試験操業でND(放射能10md以下)のものが、いかに安全かを知ってもらうイベントだ。
だが、私は、それを知ってもらうためにも、被災地いわき、とりわけ海岸線の被害について学んでもらいたかった。3年間豊間小の校長だったM先生に講演をお願いし、震災当時、2年生だった6年生になる子どもたち4名にも参加してもらい、震災のときの思いとこれからどう生きるかをコメントしてもらった。
「豊間の町の役にたつ仕事をしていきたい」「ふるさとの魅力を伝えていきたい」「被災した人たちの支えになる仕事につきたい」…。豊間小の子どもたちの声は、だれの言葉でもない、はっきりした自分で考えた言葉だった。
参加した港区の保護者、児童、生徒たちの心に、感動の波紋がそのとき静かに、そして確かに広がってるのが私には見えた。
21日には、いわき稲門会(早大卒地域OB会)の講師に招かれ、拙作「みんな生きている」の映画上映と講演をさせていただいた。震災からもうすぐ5年。その中で、福島がいまやらなければいけないこと、見落としてはいけないことを話させてもらった。そこでも静かに、が、確かに共感の波紋が広がるのが私には見えた。
22日、東京から出発していた、ふくしま農家魂応援学習バスツアーと天栄村で合流。震災後、放射線量の問題を抱え、研究と研鑽を重ね、自分たちの米を守り抜いた農家魂を学んだ。地元のおかあさんたちの地元家庭料理と私が世界で一番うまいと豪語する天栄米のおにぎりをいただいた。品評会で金賞を連続受賞する。
それを原発事故以後も続ける。そこにある農家魂への共感は、天栄村ファンクラブ加入者が即10名を超えたのを見てもわかった。
会津では、震災後から会津でお世話になっているNPOのIさんのお力を借りて、山田木綿、会津慶山焼きを見学。夜、萬花楼で会津料理と会津芸者さんたちの踊りと接待を受けた。本気の会津。その強さの一旦を参加者の方々は感じたと思う。
そして、昨日、仁井田本家の酒蔵見学のあと、ホテルハマツでの「ふくしま まけねぇ魂!祭り」。
ハマツに集まってくれた農家、漁業、加工の仲間たち。彼らの思いにあったのも、福島に生まれてよかった。福島に生きてよかった。福島に育ち、そこで出会った人々とつくる自分たちの日常への誇りだ。
強く確かな言葉。願いと思いの深さ。震災がなければ、もしかしたら、強く自覚することも、顕著にそれと表すこともなかったかもしれない。
だが、それは、ただ福島に限ったことではない。何かを当てにするのではなく、かといって、何かを見捨てたり、置き去りにするのでもなく、それぞれがそれぞれの生活の中で、確かにある自分たちの誇りに目覚める。
そこにしか、日常を取り戻し、日常をよりよいものに変える道はない。ときには、そのために、声を大きくしなければならないこともある。向き合わなくてはいけない自分の弱さや無知さもあるかもしれない。当然、悔しい思い、つらい思い、腹立たしい思いもあるだろう。
だか、生きる悲しみを何かに変えるのは、その道しかない。
「わたしの心の奥に、ひと粒の悲しみがある。葡萄が酒になるように…わたしの悲しみよ。酒になれ…」
だが、私は、それを知ってもらうためにも、被災地いわき、とりわけ海岸線の被害について学んでもらいたかった。3年間豊間小の校長だったM先生に講演をお願いし、震災当時、2年生だった6年生になる子どもたち4名にも参加してもらい、震災のときの思いとこれからどう生きるかをコメントしてもらった。
「豊間の町の役にたつ仕事をしていきたい」「ふるさとの魅力を伝えていきたい」「被災した人たちの支えになる仕事につきたい」…。豊間小の子どもたちの声は、だれの言葉でもない、はっきりした自分で考えた言葉だった。
参加した港区の保護者、児童、生徒たちの心に、感動の波紋がそのとき静かに、そして確かに広がってるのが私には見えた。
21日には、いわき稲門会(早大卒地域OB会)の講師に招かれ、拙作「みんな生きている」の映画上映と講演をさせていただいた。震災からもうすぐ5年。その中で、福島がいまやらなければいけないこと、見落としてはいけないことを話させてもらった。そこでも静かに、が、確かに共感の波紋が広がるのが私には見えた。
22日、東京から出発していた、ふくしま農家魂応援学習バスツアーと天栄村で合流。震災後、放射線量の問題を抱え、研究と研鑽を重ね、自分たちの米を守り抜いた農家魂を学んだ。地元のおかあさんたちの地元家庭料理と私が世界で一番うまいと豪語する天栄米のおにぎりをいただいた。品評会で金賞を連続受賞する。
それを原発事故以後も続ける。そこにある農家魂への共感は、天栄村ファンクラブ加入者が即10名を超えたのを見てもわかった。
会津では、震災後から会津でお世話になっているNPOのIさんのお力を借りて、山田木綿、会津慶山焼きを見学。夜、萬花楼で会津料理と会津芸者さんたちの踊りと接待を受けた。本気の会津。その強さの一旦を参加者の方々は感じたと思う。
そして、昨日、仁井田本家の酒蔵見学のあと、ホテルハマツでの「ふくしま まけねぇ魂!祭り」。
ハマツに集まってくれた農家、漁業、加工の仲間たち。彼らの思いにあったのも、福島に生まれてよかった。福島に生きてよかった。福島に育ち、そこで出会った人々とつくる自分たちの日常への誇りだ。
強く確かな言葉。願いと思いの深さ。震災がなければ、もしかしたら、強く自覚することも、顕著にそれと表すこともなかったかもしれない。
だが、それは、ただ福島に限ったことではない。何かを当てにするのではなく、かといって、何かを見捨てたり、置き去りにするのでもなく、それぞれがそれぞれの生活の中で、確かにある自分たちの誇りに目覚める。
そこにしか、日常を取り戻し、日常をよりよいものに変える道はない。ときには、そのために、声を大きくしなければならないこともある。向き合わなくてはいけない自分の弱さや無知さもあるかもしれない。当然、悔しい思い、つらい思い、腹立たしい思いもあるだろう。
だか、生きる悲しみを何かに変えるのは、その道しかない。
「わたしの心の奥に、ひと粒の悲しみがある。葡萄が酒になるように…わたしの悲しみよ。酒になれ…」