秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

ウソの仮面

物があふれ、生活が豊かになることで生まれる不安がある。物がなく、糧をえられない、貧しさにつきまとう不安がある。

将来の安心をえるために、学歴やキャリアにこだわることで生まれる不安もある。社会的な評価や評価でえられる生活の安定を求めることで生じる不安もある。

自分の応援者や支持者、協力者をひとりでも多くえよう。それによって支援の資金や糧をえようとすることで生まれる不安もある。

それらは、みないら立ちと共にある不安だ。自分へのいら立ち、他者へのいら立ち、社会へのいら立ち…。不安は常に、いら立ちを生む。

いら立ちは、より優位な自分、より優越感のえられる自分であろうとすることで、とりあえず、棚上げすることができる。

だから、人は侮蔑の対象をほしがる。対象を嫌いながら、それによって、より優位な自分、より優越感のえられる立場を与えられるから、侮蔑しながら、それを捨てることができない。

不安は、だから、いら立ちの向こうに、依存をつくりだす。侮蔑するものと、侮蔑されるものとの依存だ。

哀しいのは、この依存は、じつは、人としての優位性や優劣とは無縁の、同じように、不安の海にあるものが、その冷たさに耐えるために、互いを慰め合っているだけの歪なものでしかないということだ。

この国は、もう20年以上、この不安といら立ちを生きている。人々の暮らしの中に、いじめ、差別、虐待、暴力が互いへのいら立ちから逃れるための侮蔑のように広がり、その不安といら立ちをつくり出しているものの正体を知ろう、見ようとはしない。

今日、国交省が沖縄の承認取り消しに対して、防衛省の請求による執行停止を通告した。本来、個人が行政、国政に対して行う請求を歪曲して法的根拠としている。

政権は強制代執行の手続き入った。その同じ日に、大統領選挙最中のオバマ政権は人気とりのように、南シナにイージス艦を派遣した。国民にまたひとつ大きな不安を与えることで、沖縄に基地を押し付けることの妥当性を日米が示し合わせてやっている。

またひとつ、またひとつと重なり、広がる不安。そして、人々は冷静な目や平静な論理を捨て、理念も理想もなく、侮蔑の対象をみつけ、それで安心をえようとするだろう。

侮蔑された相手も、また、それを侮蔑の対象として、やがて、平時にあって語っていたありえない物語が、じつは、このための準備だったことを示すだろう。

ウソが現実になり、ウソだとわかると、ウソは、次に、逆らえない正義の仮面に代わる。