秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

後へのパイプ

会社勤めというのを始めたとき、あれもこれもと仕事をやらされて、なんとかそれをこなしていると、ひとりの先輩からいわれたことがある。

なんでも器用にこなしていると、どんどん仕事を押し付けられるよ…。

確かに、仕事は時間とともに、膨大になっていった。だが、それがあったことで、仕事のこなし方が覚えられたといってもいい。膨大になっても、できません、ではなく、とにかくやる、といことを覚えたからだ。

とにかくやる…。じつは、簡単なことのようで簡単ではない。

自信があるわけでも、経験値が高いわけでもないときに、とにかくやると思い切れるのは、その場所で、その仕事で、そのプロジェクトで、自分の力量の枠を広げようとする意欲のありなしが大きい。

気働きという言葉があるが、ひとつの事を成就させるのに、目に見えるタイムテーブルやスケジュールとは別に、それを支えるために使わなくてはいけない時間、気遣い、配慮、調整の労力と費用がある。

生み出される成果の価値は、それ自体が成就することよりも、その見えない時間と労力と費用をどれくらい使ったのかの方がじつは大きい。

人は、何事につけ、成就や成果をほしがる。そのために、目に見える体裁ばかりに心がいく。確かに、金を使い、人を動かし、世間や社会といったものに何事かを示すのだから。まして、仕事、商売となれば、どうしても結果がほしい。

だが、そのとき、その場限りの結果を求めるだけが、本当に大事なことなのだろうか。それよりも、大切なことがあるような気がしてならない。

いまの世の中、なんでも形にこだわる。見栄えにこだわる。しかし、そのことで積み重ねや積み重ねでつくられる、向こう何年、何十年先の骨太な成果、結果を見失ってはいないだろうか。

成果や結果、成就させたいばかりに、裏側はボロボロなのに、これが成果と叫び、そのにぎわいや華やかさに、じつは中は空洞でも盛り上がることはできる。

だが、それは、いろいろなできなかった積み重ね、つなぐことのできなかった気遣い、気働きの重要さ、それで生まれる確かな明日へ続くパイプをふさぐことになる。

大事なのは、何年、何十年か経ったときに、ああ、こんなに堅牢で、しっかりした、ゆるぎない遺産が残されていたんだと、後の人たちが実感できるかどうかだ。

明日は、私たちの虚栄のいまにあるのではない。後を生きる人たちのためにある。