秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

モラルの話をしよう

モラルは、人により、状況により、かつ、時代により多様にその顔を変える。

それほどにモラルは定まりなく、頼りない。
でありながら、多くの人はモラルは不動のもので、普遍的なもののように考えている。

それは、モラルを成立させる根幹に、宗教的精神や理念、あるいは、人との関係を創造し、維持し、広げるために、共有し、積み上げられてきた様式、規範や決まり事があるからだ。

モラルがときとして、人々の自由や挑戦の桎梏となるのは、そのためだ。だが、じつは、人類はその営みの中で、常に、モラルの書き換え、転換、更新をやっている。それができていなければ、現在のような人類の発展はない。

モラルの書き換え、転換、更新によって、これまでえられなかった自由や生活の質がえられてもきたし、その代償として、なにかを失ってきた。そして、失ってはならないものも喪失してきた。

だが、時代をけん引し、時代を拓き、社会や世界を変えていく力は、書き換え、転換、更新にある。

同性愛婚や性同一障害による性転換手術の広がりや不妊治療における代理母出産など、かつての社会、世界ではまったく認められもしなかった。それがいまその書き換えが進む。モラルの書き換え、転換、更新が起きている。

わずか70年前には、この国でも女性の参政権はなかったのだ。

それらすべては、男性優位社会において、男性から弾圧を受けてきたし、制度としても女性に自立させないことがモラルだった。また、同じ同性者からも眉をひそめられ、同性者の輪から排除の対象とされたきた。

これらは、わかりやすい、ひとつの例に過ぎない。臓器移植、IPS細胞、遺伝子操作など、私たちの日常にいま当然のように、かつて宗教的視点によって、モラル上、悪とされていたものが科学発展の名によって存在する。

これまでと同じであること、人と異なること、人と同じではないこと、人と同じにできないこと…同調圧力の中で維持されているモラルは、常に排他的で、いじめや無関心(無視)の対象とされてきた。

そのことで妨げられてきたこと、不自由で非人道的な制度や慣習が罪なき罪人をつくってきた。不自由なモラルがそれに従順な人間より、はるかに優秀な人材を追いやってきた。

モラルに対して、それでいいのかと問うことは、だから常に重要なのだ。同時に、モラルの書き換えは本当に必要なのかと問うことも等価で重要なのだ。

社会や世界の枠組みを維持していくためには、人々が共有できる幻想が必要になるからだ。それすらも失うと、社会、世界に溶解が始まり、制度や規範、法が意味をなさなくなる。

しかし、それほど、制度や規範、法の力はいま無力となっている。だからこそ、心情的な善悪の基準からではなく、相対的に、いまあるモラルを問わなくてはいけない。モラルの書き換えを問わなくてはいけない。

安保法制にせよ、憲法改正にせよ、派遣労働法の改悪にせよ、そして、沖縄のかわらないモラルの現実にせよ、原発にせよ、さらには、18歳選挙権にせよだ。

これまでのモラルをこれまで以上に強化したがる人々は、18歳選挙権の次に、教育における終わってしまったモラルの強化と復活をいうだろう。少年法の厳罰化をより進めるだろう。

社会を変える新しいモラルをいいだすのは、そして法を溶解させるのは、彼らだからだ。