秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

彼女たちの目線

今年のお盆も、いつもの通り、福岡へ帰ることはなかった。

18歳か19歳あたりで、ふるさとを出た人は地方都市、首都圏に少なくないだろう。

学生時代くらいまでは帰省で節目に帰ることはあっても、社会に出ると仕事やそこでの人間関係で、帰省する機会が少なくなる。まして、私のように飛行機で1時間以上の福岡のようなところは金銭的にも遠い。家族を持つと簡単に一家で度々帰るのは難しくなる。

それでも両親が存命なうちは、帰省の動機もあるが、いずれかが亡くなり、兄弟姉妹のだれかが面倒を見るようになると、ふるさとそのものがさらに遠くなる。

簡単にいえば、親不孝をしている。だが、おそらく、ふるさとを出る、どこか別の町、都市で暮らすということはそういうことなのだろうと思う。

NPOの関係で昨年から東京、港区の福島県人会の隅っこに入れてもらい、こちらでの活動基盤整備にも力を入れている。

だが、なかなか難しい壁があることに気づいた。実働が期待できない。

ふるさとを出て、都市の暮らしの中で20年、30年、あるいは40年、50年と生きてくると、郷土愛や自分が生きた頃の地元愛はあっても、いまのふるさとの情報やいまのふるさとの声や実状をほとんどの人がよく知らないことだ。

そして、ふるさとのためにいま、やらなければいけないこと、やるべきことへの着眼点が的外れだったり、関心、共感が薄い。まして行動となるともっと難しい。

情報を得ようとしていないからそうなるのは当然なのだが、おそらく、それ以上に、もはや、私のように、ふるさと○○の人ではなく、都会の人間なのだ。

それぞれが地域とのかかわり方が違っているように、住んでいる地域も違う。思い入れも違う。生きてきた背景も違う。

ひとくくりに福島だ、福岡だといっても違う。つまり、オール福島、オール福岡というのは行政の話で、私が大濠公園と六本松、赤坂門、天神、志賀島大宰府といった少年期、思春期、青年期までかかわった地域に強い郷愁があるように、行政域全域に思い入れがあるわけではない。

逆に、私の考えや私が感じていることは、福島に生まれ、福島に生活している方たちの方が深く理解してもらえ、共感もされる。いろいろな配慮もするが、こちらの思いにストレートに反応がかえってくる。生活者だから、多少の違いはあれ、一応にオール福島の感覚を持っている。

考えれば当然なことで、たかだか、18
年か、19年、せいぜい、20年ほどしか住んでいないのだ。まして、幼少期を除けば、はっきりしたふるさとの記憶というものは10年程度でしかない。生活をしていなければ、本当の姿は見えてはこない。

私は大学生から社会に出て数年くらいまでは、福岡のことを知っている気でいられた。だが、福岡で生活していた時間と同じ時間を東京で過ごすようになった頃から、福岡のことはほとんど知らないのだと自覚し始めた。福岡が大きく変わったからだ。

私に限らず、どこのふるさと出身の人も自分のふるさとを知らないのだ。

だが、そうした中にあって、わかったような気にならずに、もっと自分たちのふるさとのことを知ろう、知るために改めてふるさと探訪の行動をしようとしている人たちがいる。「ふく女の会」という女性たちの集まりだ。

ほとんどがもう一度、地域の生活者になろう、あるいはその応援者になろうと考えている人たちだ。

彼女たちの活動は大きくないが、大きな期待を私に抱かせる。そこに生きる生活者と同じ目線があるからだ。

私のような親不幸な奴は、とてもふるさとに彼女たちのような目線が持てないw

盆休みの終わりに、そんなことをふと懺悔のように考える…