秀嶋賢人のはてなブログ

映画監督・NPO法人SocialNetProjectMOVE理事長

こつこつ

京福島県人会に今年始めに加入した。昨夜は、その総会と懇親会。

福岡市出身の私が個人で加入はできないが、うちのNPOは40数名いる半数が福島在住者、在京福島県人。団体での加入は可能なのだ。

震災当時、単独で始めた福島支援事業。当時は、県内の行政、団体、個人となんのつながりもなかった。まして、私たちは、復興ビジネスやボランティア事業とは、一線を画してきた。さらに、県内に拠点はなく、東京港区をその活動の起点としている。

与える事業ではなく、支える事業を。しかも、東京という首都圏を巻き込むこと。それも、行政や団体、組織ではなく、個と個をつなぐこと。それを主眼としてきた。

県内でのイベント事業や大手企業スポンサーとした支援事業といったことには、はっきりいって興味がない。正確にいえば、それでは、個に届かないからだ。個とつながれないからだ。わっと人を集合して、一部の関係者や団体が盛り上がる事業は、そこにかかわらない人たち、縁のない人たちが置き去りにされる。

それよりは、東京と福島の情報仲介者として個と個をつなぎ、それが個の集合、さらには団体、組織、行政へと広がることを願いとしている。しかも、その主役は福島に生まれ、生きる人たちではなくてはいけない。自分たちの地域のことだからだ。

だから、復興ビジネスとはかかわらないようにしてきた。また、県助成金や復興庁助成金といった行政の助成ものは当てにしてこなかったし、また、私たちのような活動は対象にすらならない。

この4年の活動の中で、助成金事業を受けたのは、唯一、WEBを立ち上げるために申請した、民間のトヨタ財団だけだ。その他の活動費は会費とイベントなどでのわずかな寄付や賛助金だけ。震災直後から始めた、港区での福島物産紹介、文化交流イベントの費用など到底、それでは追いつかない。

だが、そうした取り組みと姿勢、そして願いが、昨年から県や県東京事務所に認められ、いつか東京福島県人会、港区福島県人会にも参加させていただけるようになってきた。東京、とりわけ、港区を福島の民間レベルのベース基地に…。その願いを具体化へ向けて推進しようと考えていた矢先のことだった。

わずか4年少しの活動で、県内地域行政や関連団体を含め、県内の人々にその活動を少しは知られ、東京に拠点を置き、県外出身者が半数を占める団体が、手前味噌だが、ここまで来た例はそうないと思いっている。

私たちの活動は福島を通じて、この国の地方の在り方、地方の自立自治を獲得する道をともに考えることだ。中央政府や官僚機構、大企業に依存した地域ではなく、自助自立を基本とした地域の新生だ。

そこには、まちづくりといった大枠だけでなく、地域産業の見直し、掘り起し、少子高齢化における教育、福利福祉、生活格差、過疎化、産業文化の空洞化…。その中における防災、エネルギー問題、次世代育成といった課題も含まれている。

私たちがそのすべてができるわけでは、もちろんない。だが、自分たちの地域のあり方を考え、連携し、行動する人を発掘し、つなぐことはできる。3年前からスタディツアーに力をいれているのも、そのためだ。

今年以後は、港区及び都民と県民の交流ワークショップに力を入れ、人材の育成や課題の共有と研究に力を注ぎたいと考えている。

いま、なにが必要か。本当にやらなくていけないことはなんなのか。それは、今後、在京福島県人のみなさんにも、深く考えていただきたい。県人会の活動もそういう方向に迎えれば、若い世代の参加意欲も出てくる。

あるときパッと目立つと成果が認められたように思うかもしれない。だが、たゆまず、志とビジョンを持って歩き続ければ、こちらが大声を上げ、あれこれ算段しなくても、また、虚勢や見栄、体裁をしなくても、周りが無視できなくなる。

ただ、信じて、こつこつ、いまできることをやるだけだ。ふりかかる火の粉も、さかしない噂話も、足のひっぱりも、積み重ねる実績とぶれない姿勢が振り払う。